SRI SATHYA SAI RAM NEWS
SRI SATHYA SAI RAM NEWS
No.228_229 / 4月&5月合併号 / 2024
霊性の道とは、無執着の道であり、感覚の制御の道であり、
厳しい心の訓練の道です。
人はまず、くじけることなく自省をし、継続的に識別をしてから、
自分の進みたい道を決める必要があります。
モークシャ(解脱)とは、
真実(真理)を曇らせて真実でない蜃気楼(しんきろう)
を作り出す無知という束縛を取り除くことを意味します。
人は、一つの欲が満たされるやいなや、
新たな欲の対象へと触手を伸ばします。
人はいつももがいていて、いつも不幸せです。
それは、永遠のものや永続するもの、
源や実体を求めようとしていないからです。人は、束の間のもの、ささいなもの、一時的なもので満足しているのです。
真理を通じて解脱に到達するために、体を戦車として使いなさい。
その戦車がサティヤ(真理、真実)、ダルマ、シャーンティ(平安)、
プレーマ(愛)の4つを車輪に据えて
ゴールへの道を進むのを見届けることは、あなたの義務です。
カルマ〔行い〕、バクティ〔信愛〕、グニャーナ〔英知〕は、
神への3つの道です。
しかし、カルマは欲望によって歪められ、
バクティは貪欲によって汚され、
グニャーナは怒りによって曇ります。
しかし、人はプレーマ(愛)を通じて、
欲望と貪欲と怒りを容易に克服することができます。
人間の偉大さは、意識的な努力によって
自分の中の悪を取り除くことができる、という事実にあります。
シヴァラートリは、その日一日断食し、
丸一晩徹夜することによって、暗闇を光に変え、
シャヴァム(死体)をシヴァム(神)に昇華させることができると
言われています。
Shiva Shiva Shiva Shiva Yanarada Mee Chinthalella Bapikona Manarada
悲しみや喜びを他の人と分かち合うための特別な感受性を授かっている生きもの
である人間が、なぜ時間と空間が変化するこの世界に
生まれてこなければならないのでしょうか?
生まれてきたものは死をまぬがれず、
建てられたものが崩壊を耐えることはできません。
では、なぜ人は、はかないこの経験の舞台に送り出されるのでしょうか?
神の行動の背後にはすべて目的があります。人は、自分の中の神性を顕現させて、 その冒険の中で、すべての生きものを率い、導かなければならないのです。
人は、自分で努力して自分を解放し、
その模範によってすべての生きものを
解放しなければならないのです。
人は、自分自身の源の中で、自由になり、安全にならなければなりません。
これがモークシャ(解脱)と呼ばれているものです。
人は、小から大へ、束縛から無限の至福へと解き放たれるのです。
Love Is My Form, Truth Is My Breath, Bliss Is My Food
あなたの内に生じる愛を神に向けなさい。
あなたの体を神に捧げなさい。これは真の信愛の印です。
人間には3つの構成要素があります。
それは、心(マインド)、語る言葉の力、体です。
この3つは、トリカラナ、
すなわち、人の3つの行動媒体〔3つの道具〕
と呼ばれています。
この3つが神聖な目的のために使われるとき、
人は神聖化されます。
キリストは、世間の人々に三つの重要なことを明言しました。それは、1)神は一つである、2)神は全能である、3)誰も傷つけてはならない、というものでした。神はすべてに宿る者です。キリストは自らの使命に着手して、人々に、神への愛を育むことによって神の愛を獲得するように、と呼びかけました。
それぞれ異なる信仰を公言する人々は、神をヴィシュヌ、シヴァ、ガネーシャ、アッラー、キリスト、その他、異なる名前で崇拝しています。神は一つであるというのが真実です。現代人は宗教の中に神を見出そうとしています。しかし、神は宗教(マタム)の中にではなく、心(マティ、マインド)の中で見つかるものです。心を制し、浄化したときにのみ、神は認識されるのです。
主は常に人間の側にいるというのに、人は神を世界中で探しています。外側を探しても、内側を浄化することはできません。不可欠なのは、意識を変えることです。あなたは自分の行いを正さなければいけません。というのも、すべては自分の行いしだいだからです。清らかなハートで正しい道を貫いて、あなたの人生を神聖なものにしなさい。すべての霊的な規律はすべて、この目的のためにこそ考案されたものなのです。捧げる祈り、ジャパ、プージャーはすべて、ハートを浄化することを目的としています。
あなた方は皆、サイの王国にいます!
あなた方は皆、サイの家にいます!
あなた方は皆、サイの光の中にいます!
あなた方は皆、サイのハートの中にいます!
私はあなた方を祝福します。
この聖なる夜に、私はあなた方を祝福します。
これはあなた方の権利です。
もし正しい考えを抱くなら、
あなた方は皆、神の家にいることに気づくでしょう。
全宇宙は主の家です。ひとたびこの真理を認識したら、
区別意識が生まれることがあるでしょうか?
人は、神は怒っているとか、無関心だなどと想像します。そのような想像をする人は。神性を理解していません。胃に腫瘍があったら、外科医はメスを使ってそれを取り除きます。その手術は患者に対する悪意から行われるのですか? そんなことはありません。手術は、その人を回復させるために、その人のために行われるのです。それと同じように、誰かが何か悪い性質を募らせたら、その悪徳を取り除くために手術が行われるのです。それが神によって行われると、神は、神が怒った、神の機嫌が悪くなったと言われてしまいます。そんなことを言うのは小心者の印です。神の愛の原理を理解している人は、そのような間違いを犯すことはありません。
誰もが「私は平安が欲しい」と言って平安を切望します。しかし、平安は(peace)断片(piece)で満ちている外の世界で見つけることができるでしょうか? 平安は、「私は」と「~が欲しい」を取り除くことによって、自分の中で見つけるものです。平安は、エゴと飽くなき欲望によって破壊されています。欲望を抑えなさい。人間は、さまざまな種類の尽きることのない心配事に悩まされています。悩みは、心を神に向けることによってのみ、取り除くことができます。人々は、欲望を抑え、無執着(ヴァイラーギャ)を養わなければいけません。そうすれば、真の心の平穏を得ることができます。