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​帰依者体験談​

Bro. REDDI UDAY SAI
(Bro.レッディ ウダイ サイ)

私の敬愛するバガヴァン ババの蓮華の御足に捧げます。

 

サイラム  今日、私は皆さんとサイとの旅について分かち合うためにここにいます。サイとの旅は果てしない希望であり、サイなしでは絶望的な終わりであると言われています。最初に「私がどのようにしてスワミのところに来たか」についてお話ししたいと思います。

 

すべては私の祖父母から始まりました。私の母方の祖父母はスワミの帰依者でした。祖父は、パルティにあるシュリ・サティヤ・サイ高度専門病院のセヴァダルとして病院勤務をしていました。それで子供の頃、私は母から「スワミはあなたの神様よ」と言われ、子供の私はその事実を受け入れました。私にとってスワミは、成長する過程で祈る唯一の神でした。

 

私は家では両親から "BABA "と呼ばれていて、それが家でつけられたニックネームです。私が生まれたとき、家族には名前にサイがつく人がたくさんいました。実際、私の母も名前にサイが入っています、私たちの家族にはサイがたくさんいるので、祖母は私をババと呼ぼうと決めました。

 

子供の頃は、家でスワミの写真を見て育ちました。しかし、4歳で初めて実物のスワミをプラシャーンティ・ニラヤムで見た時、私はとても興奮しました。私は母の膝から飛び降りて、母にスワミが来るのを見せました。それまでは写真の中でスワミを見ていましたが、生まれて初めて直にオレンジ色の衣を見たのでした。それからは2年に一度、パルティに行くようになりましたが、私が最後に実際のダルシャンを受けたのは2009年でした。

 

2009年、家族全員でパルティ・ヤートラー(パルティ巡礼)に参列しました。その時、スワミの御前でバルヴィカスの劇も行われましたが、その時の私はスワミの価値をよく知りませんでした。劇に参加した子どもは全員、スワミの手から服をもらいましたが、私にはそこまでのつきがなく、劇の一員になれませんでした。今、私は後悔しています。というのも、それが、私にとっては、肉体をまとったスワミの最後のダルシャンだったからです。もし私がバルヴィカスグループの一員であったなら、スワミの手から服を受け取ることができたでしょう。

 

中学2年生まで、私は何の感情もなく、ただ儀式のようにバジャンやセヴァをしていました。中学2年生の時から、私は毎日スップラバータムやガーヤトリーマントラを唱え始めました。バジャンと、ガーヤトリーマントラを毎朝唱えて、スワミとつながるようになったのです。個人でこのようなことをするようになってから、多くのことが改善されました。

 

ここで、スワミが私に祝福を与えてくださった体験をいくつかお話ししたいと思います。

 

大学3年の時、実技試験を終えるために大学に呼び戻されました。それまでオンライン授業を受けていたのです。学生寮での15日間の滞在中、寮の学生全員がCOVID(コロナウィルス)に感染し、私はその最初に感染した10人のうちの1人で入院しました。レントゲンを撮ったところ、肺にたくさんの感染がありました。錠剤を飲み始め、バンガロールにあるシュリ・サティヤ・サイ高度専門病院でネブライザーやその他もろもろ処方されました。

 

その時、私はスワミの存在を感じることができました。スワミはこのことをご存じで、私たちみんなのことを気にかけてくださり、みんなを愛してくださっていることがわかりました。スワミは病院でとても気を配ってくださり、私は患者であることを全く感じませんでした。私は廊下を歩き回り、休息を取る以外のことは何でもしていましたが、入院してから一度も咳をした記憶がないのです。

 

この場を借りて、私たちの世話をしてくれたシュリ・サティヤ・サイ高度専門病院のスタッフにもお礼を言いたいと思います。皆さん、とても献身的でした。最終日、お医者さんは私がCOVIDからこんなに早く回復したことにとても驚いていました。奇跡としか言いようがありませんでした。スワミはすべてが必ずスムーズに運ぶようにしてくださいました。私はスワミに第二の人生を与えていただいたと感じています。

 

次の体験は、ちょうど1年前(2022年)、パルティでスワミの誕生日の準備をしたときのことです。私は修士課程を修了するので、スワミのために何かしたいと思い、ケーキ作りのグループに参加することにしました。プラシャーンティ・ニラヤムでは、ケーキ作りに参加できるのは10人だけです。私は1ヶ月間、スワミの誕生日にケーキをお供えする機会を与えてくださるよう祈りました。

 

なんとかケーキ作りのグループに入れました。私たちは降誕祭1週間前にケーキを焼いて、デザインと企画は1週間かけて考えました。スワミの降誕祭前夜、私たちはケーキを装飾して砂糖衣で覆ったりする予定でした。その日、私は体調を崩してしまい、起き上がることができないほど疲れていましたが、それでもマンディールに行きました。

 

その日の夜、友人は私がスワミにプラサーダムを捧げるチャンスはあるだろうと言いました。しかし、私はきちんとした服装ではなかったため、その晩はプラサーダムを捧げさせてもらえませんでした。私は気分が悪かったので、マンディールでのプログラムの後、一人でシュリ・サティヤ・サイ総合病院に直行すると、注射を何本か打ってもらいました。

 

その夜、私は起き上がることもできず、ケーキ作りに参加できませんでした。翌日の御降誕祭のプログラムにも参加できないと思いました。もし、その夜ケーキ作りに行かなければ、スワミの誕生日にケーキを持ってスワミの近くに行くことは許されないという流れです。

 

しかし、翌日、私は水を浴びた後、ケーキ作りの部屋に駆け込みました。人が集まっていたので、昨夜はどこにいたのか?と聞かれると思っていましたが、彼らは私に「気分はどう?」と尋ねました。みんな私の具合が悪いことを知っていたようで、ホッと胸を撫でおろしました。彼らは私をグループから外していなかったのです。

 

マンディールに参り、プログラムが終わるのを2時間待ちました。そして、ようやくスワミの前でケーキカットをする機会が得られました。プログラムの間は、私にとってそれは待ち遠しい時間でした。演劇が終った後、私たちはスワミの近くの祭壇に行き、ケーキカットをしました。

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前日、私はプラサーダムを持ってスワミの祝福を受けに行くことになっていましたが、それはかないませんでした。それゆえ、御降誕祭の夕方、私は再び祝福のためのプラサーダムを運ぶ機会を与えられました。そしてその夕方には、スワミ・ジューラー(スワミのブランコ)がありました。スワミの数多くの写真の中でも、スワミがジューラーの上で揺れている写真は、私のお気に入りの一枚です。

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私はスワミに近づき、トレイを捧げました。それは私の人生で最も貴重な瞬間でした。その瞬間、スワミを眺めていると、スワミのこと以外は忘れ、何も気にならなくなりました。スワミはいつも私のそばにいてくださるということです。もしも前日に祝福を受ける機会を与えられていたとしたら、私はスワミのお誕生日にスワミ・ジューラーの近くに行く機会を逃していたでしょう。いったい何人の生徒が行けるでしょう?最大でも10~12人くらいかなと思います。スワミは、この機会をとても特別なものにしてくださいました。

 

このエピソードの後、スワミが私を救ってくださった出来事があります。研究室で硝酸を使って作業していた私は、管に水を入れるはずだったのですが、代わりにエタノールを遠心分離機で溶液に入れて管を締めました。私は2本入れたのですが、2本目の管を締めるときにチューブが折れてしまい、酸が私の顔にかかり、顔中に酸が飛び散りました。左目にも少し入ってしまいました。そこにちょうど、私の友人がいて、顔を洗うために別の研究室に私を連れて行ってくれました。

 

そうして別の研究室で顔を洗っていると、2本目のターソンチューブ(研究用の高品質プラスチック製品の専門メーカーの管)も爆発しました。もしもあのまま私があの研究室の洗面台で顔を洗っていたとしたら、2本目の管の酸も、顔についていたことでしょう。友人が別の部屋に私を連れて行ってくれたおかげで、2本目の爆発時、私はそこには居合わせませんでした。その後、私はシュリ・サティヤ・サイ高度専門病院の眼科に行き、ドクターに目薬をもらい、寮に戻りました。時間がなかったので、皮膚の専門医には行きませんでした。

 

私の頭の中にあったのは、練習を休んではいけないということだけでした。私がどうしてもそのプログラムに参加したかったのは、学生としてスワミの前で行われる最後のプログラムだったからです。私たちはまだ、感謝祭のプログラムのダンスの順序を決めているところでした。練習の時間はとても少なかったし、学生たちは全員が練習に現れることを期待していました。私はそのチャンスを逃したくありませんでした。

 

その夜、私の左頬には黒い傷跡が残っていました。私はただスワミを深く信じ、スワミが何とかしてくださると思っていました。感謝のプログラムはうまくいきました。スワミの前で踊りました。今でも覚えているのは、妹が私を呼んで「どうしてヒゲをちゃんと剃らなかったの? ビデオにもはっきりと黒いヒゲが映っていたよ」と言ったことです。ただ、1週間後には私の顔は普通になり、傷跡も何もかも消えました。すべてが順調でした。私が唯一述べたいことは、ただスワミに身を委ねていれば、スワミが世話をしてくださるということです。

 

この場を借りて、スワミが私のためにしてくださったすべてのことに感謝します。私が今日、皆さんの前に立っているのは、スワミの恩寵のおかげです。私の話を終える前に、私がスワミの機関から学んだ一つの重要な教訓を分かち合いたいと思います。それは「私たちはスワミの手の中にある単なる道具に過ぎず、スワミはすべての行為の実行者である」ということです。私のスワミとの経験を分かち合い、回想する素晴らしい機会を与えてくださったことを、ここに座っておられる一人ひとりの魂に感謝します。

JAI SAI RAM

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プロフィール
Bro.レッディ ウダイ サイ

 

2018年  シュリ・サティヤ・サイ・ハイヤー・セコンダリー・スクール(シュリ・サティヤ・サイ大学高等部)卒業

2018年  シュリ・サティヤ・サイ大学 理学部入学 
 

課外活動では、クリケットチームのメンバー(優勝)、バスケットボールのメンバー(優勝)、 演劇チームのメンバーでもあった。大学や学生寮で催されるフェスティバルやプログラムの運営、栄養士チームのメンバーとして、学生寮では、病気の学生のために特別な食事作りや、 調剤チームの一員としても、基本的な薬の調剤に携わっていた。


2021年  シュリ・サティヤ・サイ大学 理学部卒業 

2023年  シュリ・サティヤ・サイ大学 化学専攻 修士課程修了


2023年10月より文部科学省の国費留学生として来日、国立大学の化学の博士課程に在籍中。SSSOJの活動においては、スタディサークル、バジャン、ナーラーヤナセヴァ(震災セヴァ含む)に尽力している。趣味は、読書、クラシックダンス、クリケット、バスケットボール、バドミントン、料理。

Sis. Pavithra Kasthurirangan

(Sis.パビットラ カストゥーリランガン)

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カストゥーリランガン姉妹(右:Sis.パビットラ)

アナンタプール・キャンパスにて

プロフィール:タミルナードゥ州エロード出身

・2023年シュリ・サティアサイ・ アナンタプル女子カレッジ 理学部(化学専攻)卒業

・2023年10月より 文部科学省の奨学生として、日本の国立大学の修士課程に在学中

・インドの古典音楽を5年間学び、現在SSOJの定例会でバジャンリードをしている

私の人生で最も美しい日々を挙げるとしたら、間違いなくアナンタプル女子カレッジで過ごした日々が一番になるでしょう。ATPian((エーティーピアン)アナンタプルに住む人達の事を指す))と呼ばれるような生活を経験できたことは、本当に幸せなことです。在学中には気づかない人が多いのですが、スワミはアナンタプルに大変霊的で教育的な環境を作ってくださいました。

 

私の場合、母がアナンタプル女子カレッジの卒業生で、私もスワミの大学で学ぶことをいつも望んでいました。母はよく、アナンタプルでの経験や、在学中にスワミが起こした奇跡について話してくれました。このことが、私の心の「サイの学生になりたい!」という思いに火をつけました。パルティに行くたびに、私はサリーを美しくまとったアナンタプルの姉妹や、彼女たちの振る舞いに感心していました。それと同時に、スポーツ大会の時に自転車に乗ったり、スタントをしたりすると、彼女たちは不死鳥のような姿を現すのです。このようなサイの学生の二面性に、私は興味を惹かれ続けました。

 

10年生になった後、アナンタプル女子カレッジのプライマリースクール(初等科)を受験しましたが、入学試験に通過出来ませんでした。私はとてもがっかりし、うまくいかなかった自分を責めました。しかし、一貫した祈りは必ず届くということも確信していましたので、今度はアナンタプル女子カレッジの大学の学部に出願しましたが、それも不合格でした。私は絶望し、次に何をすべきかわからなくなり、混乱しました。私はスワミの大学に入れると固く信じていたので、他の計画はありませんでした。

 

母と私がパルティの部屋をチェックアウトしようとしたとき、寮の入り口に置かれたスワミの祭壇に出くわしました。私は祭壇の前に立ち、スワミに祈りを捧げました。「溺れさせるためではなく、清めるためにあなたを深い海に沈めた」と書かれた御言葉の紙を見て、私の目は涙でいっぱいになりました。すぐに私を待っていた母のところへ駆け寄り、御言葉の紙を見せました。母は、「次の年にもう一度受験しなさい」と言ってくれました。

 

学業が1年遅れましたが、私は次の年に試験を受けました。この時は何も期待していませんでした。スワミが「あなたの仕事を真摯に行い、あとは神に任せなさい」とおっしゃるように、試験の準備を真摯に行いましたが、結果については心配しませんでした。私は筆記試験と面接の両方で合格しました。キャンパスライフを体験できると思いとても楽しみでした。しかし、私たちはコロナウィルス流行の時期の学年だったので、キャンパスに通える状況になるまで、2年近く待ちました。

 

2022年3月にようやくキャンパスに来ることが出来ました。私はついに2つの重要なことを経験することになりました。 1)キャンパスの日常 2)アナンタプルの灼熱の夏。しかしスワミは、ホステルに無制限に供給されるバターミルクで、私たちが十分に水分を補給できるようにしてくださいました。スワミは、早朝のスップラバータムから夜10時の夜の祈りまで、ホステルの日課のあらゆる面が私たちの霊的成長に貢献するようにしてくださいました。さらに素晴らしいのは、たとえ私たちがその日課の内的な意味を理解していてもいなくても、その恩恵を享受できることです。ちょうど、日本の餅の調理手順を知らなくても、餅を楽しむことができるように。私たちがすべきことは、スワミを信頼し、すべての行動をスワミに委ねることです。そうすれば結果に影響されることはありません。行動そのものがスワミのものだからです。

 

あるオンライン授業中に「学位を取得する専攻科目を選択するように」とメールが届きました。私はバイオサイエンスと化学の間でジレンマに陥っていました。バイオサイエンスを選べば、あと2年間大学に残ることができます。アナンタプルには、バイオサイエンスの修士号のコースがあるからです。でも化学を選んだら、キャンパスを出なければなりません。アナンタプルには化学の修士号がないからです。でも個人的には、生物学よりも化学の方が好きでした。私はスワミに祈り、先生や両親から色々と提案されました。

ある晩、私はスワミの夢を見ました。スワミが巨大なホールに入っていき、そこには先生方が大勢座っていらっしゃいました。そこで先生方が真剣に話し合っていらっしゃいました。スワミはホールに入って行かれ、議論が続いている先生方の質問に難なくお答えになっていました。そして、ホールの近くにある部屋に向かってゆっくりと歩いて行かれ、突然私が立っているところに振り返り、私をお呼びになっているように、しっかりと私を見つめられました。近くに来た私の頭をスワミは優しく撫でて「よく勉強をしていますか?」とお尋ねになりました。「はい、スワミ」と答えました。スワミはいたずらっ子のような笑みを浮かべながら、もう一度私に「本当によく勉強していますか?」とお尋ねになりました。私は再び「はい、スワミ」と答えました。するとスワミはまた部屋の方を向いて進み始められました。私はどうしていいか分からず立ち尽くしていました。するとスワミは私の方を向いて、「何を待っているのですか? 私について来なさい」とおっしいました。スワミが部屋に入られ、私もその部屋の中に入りました。私はスワミに言われた通りに部屋に入り、そこが化学実験室であることに驚きました。両側に作業ステーションがある巨大な研究室でした。スワミはこの夢を通して私の祈りに答えてくださったのです。私は喜んで化学を専攻に選び、学位を取得しました。先に述べたように、この夢の出来事は、コロナウィルス期間のため、キャンパスにまだ来る事が出来ず、オンラインで授業を受けている時期に起こったことです。その時はキャンパスを訪れていませんでした。2022年3月、初めてキャンパスを訪れたとき、最初の実習の時間に化学実験室に案内されました。驚いたことに、そこは夢で見たのと同じ研究室でした。スワミは私の心からの祈りにすべて答えてくださったのです。スワミは、信仰以外のものを、私たちに期待されることはありません。私たちは皆、スワミの懐に入れていただけ本当に幸せです。スワミのメッセージを広め、スワミに選ばれた者であり続けましょう。

Jai Sai Ram

 

※Sis.パビットラの妹は、2021年にアナンタプール・キャンパスに入りました。 その頃、オンライン授業が行われていた為、2022年から2023年の1年間、姉妹は一緒にキャンパスで過ごしました。現在、妹は最終学年で、専攻は物理学です。母娘3人ともに、スワミの学生。Sis.パビットラの母は、スワミの肉体的ダルシャンに多く恵まれ、娘たちの幼少期から、スワミとの経験を分かち合い続け、それがSis.パビットラ姉妹の道徳的支柱となり、スワミの道から逸れないように守ってくれているそうです。

 

※インドでは、5年生までが初等教育、10年生までが中等教育です。11年生と12年生は高等学校(Higher Secondary School)で学び、その後、大学(Undergraduate Studies)に進学します。インドでは短期大学はありません。

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​感謝祭にて

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アルティを捧げる姉妹

東京サイレディース世話人

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オーム シュリ サイラム

ババ様の蓮華の御足にお祈りをお捧げします。

 

 1994年の夏、「習い事」として通っていた山本ヨガの合宿に初めて参加し、そこで素晴らしい方たちとの出会いがありました。初めてババ様のこと、インドでの貴重な体験談を聞いた私は、そのお話に感動し、早速、次の日曜日には神戸サイセンターへお参りしていました。

 

 その後結婚して東京へ移住するまでの約11年間、神戸センターでは大変お世話になりました。そこではインド人の方々が、日本人の参拝者を毎回温かく「サイラム」と笑顔で迎えてくださいました。私にとって、センターに通うことが週末のお楽しみとなり、そこでスワミとの出会いをはじめとして、青年部が発足するなど、多くの貴重な経験を与えていただきました。神戸センターでお世話になったインド人の皆さん、日本人の皆さん、いろんな時を過ごした青年部の仲間の様子が、今の私にとって、センター活動の原風景のようになっています。

 今は主に東京センターにて、家族で大変お世話になっています。東京センターの皆さんもとても温かく、スワミへの真摯な想いにあふれ、どこのサイセンターにもスワミがダルシャンに来られているのだと、つくづく感じています。

 

 1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こり、実家も大きな被害を受け、ガスや水道も数ヶ月遮断されましたが、幸い家族の命は助かり、仕事も継続することができました。しばらくすると、神戸センターでは震災セヴァが始まり、私も初めてセヴァに参加することになりました。現地では神戸センターのインド人の方々、日本人の方々、自身が被災していながらも、野外での不便な炊き出しに集まり、力を合わせ、祈るような気持ちでセヴァされていたのを憶えています。

 また神戸以外の遠方からも、リュックを背負ってセヴァに来られた帰依者の方々もおられ、スワミの御教えをそのような形で直に感じることがありました。仮設に避難されていた被災者の皆さんは大変辛い状況にありながらも、気丈に明るく振る舞っておられ、次第にセヴァのメンバーと顔馴染みになるくらい、打ち解けてくださった方もおられました。

 

 そんな中、ある初老のご夫妻との出会いがありました。お二人とも視覚障害があったため、仮設での慣れない暮らしで、健常者にはわからないご苦労や、何かと困ることが多くあったご様子でした。しかし、お二人ともボランティアとの接し方に慣れておられ、何もわからない私が訪問しても、毎回歓迎してくださり、仮設住居で困ること、必要な援助方法など、私の知らなかったことをたくさん教えてくださいました。そのおかげで、そのうちお二人と外出し、どこか必要な場所へお連れすることもできるようになりました。

 

 ある寒い日曜日の朝、お二人と一緒に目的地まで、広い車道からタクシーを拾わねばなりませんでした。日曜日の朝で、人も車も通っておらず、シーンと静かな通り。もちろん当時スマホなどなく、携帯はあったのか記憶がないのですが、タクシーの電話番号もわからず、偶然通るのを待つしかありませんでした。お二人を寒い中、立ったままお待たせするのが申し訳なく、自分の準備不足に内心焦りながら、安全な所に移動していただき、私は少し離れた所へタクシーを拾いにいきました。そして地平線のように何もない道路を見つめていると、不意に「シバシャンカラ シバシャンカラ シバシャンカラ ルーパマヘーシュワラサイ」というヒンディーバジャンが口をついて出てきました。

 自分では特に思い入れのなかったバジャンだったので、不思議だなあと思いながら、そのまま続けて歌うと、すぐに地平線のように見えていた道に車がポツンと現われました。「わぁ、あれがタクシーだったらすごいのに」と思いきや、真にタクシーでした。思わず飛び跳ねたい気分で、早速お二人をタクシーにお連れして乗車しました。私は「きっとタクシーの運転手さんのお名前は、馬場さんじゃないかな! 」と密かに期待していましたが、タクシーの運転手さんの苗字は「芝」さんでした。スワミは笑いの王様でもあるのだな、と思える出来事でした。
 

 そのご夫妻は、私が結婚し、第一子を出産した日、偶然、電話をくださり「わぁ!それはおめでとう!」とお祝いしてくださいました。その後引っ越されたのか、連絡がとれなくなってしまったのですが、仮設がなくなり、復興が進んだ今、皆さんどうされているでしょうか。

 

 1997年8月14日、プラシャンティーニラヤムで、インタビューを頂いたときのことです。インタビューそのものは、すでに多くの帰依者から聞いていた通り、素晴らしく、かけがえのない時間でしたし、スワミが私たちの心の動きを、文字通り、細部に至るまで知り尽くしておられ、一瞬も逃すことなく、私たちは目撃されている、と感じることができました。ですが、自分の中で、密かに3年間解決しなかった「些細な出来事」がありました。それはこんな場面でした。

 

 インタビュールームに帰依者が入室した後、スワミがご自分で入り口の鍵をかけられ、その後、私たちにお話をされました。夢のようなインタビューが過ぎ、退室の時のことです。スワミは、先程閉めた扉の鍵を、今度は開けるために入り口まで移動され、鍵を出して開錠されました。余談ですが、扉を開けて外のダルシャン会場へ出る直前、スワミはご自分のやわらかな頭頂部のアフロヘアーを、指でギューッと数回引っ張り、髪をフワッとさせ、身だしなみを整えておられるようでした。
 

 私は扉の近く、男性と女性の境目に立っており、スワミが鍵をあけられるのを目の前で見ることができました。そして開錠した後、スワミは突っ立っている私を見あげられ「そこをどかないと扉を開けられませんよ」というようなお顔をされました。インタビュールームの扉は内開きだったのに、私が立って塞いでいたので、スワミは扉を動かすことができないのでした。私は慌てて後退りました。

 その出来事があり、インタビュールームを出た私は気持ちが沈んでいました。「私は神様の仕事を邪魔しているんだ! 」と思えて、情けないような、悲しい気持ちでいっぱいでした。スワミのあの視線を思い出すと、「ひどい! 」と言いたくなるような気分でした。

 

 しかし3年後、家で掃除機かけをしていた時に、ふとその日が3年前のインタビューの日だったことに気づきました。同時に悲しい気持ちも思い出したのですが、その日はスルスルとそれまでにはなかった全く違う思いが湧き出てきました。

 インタビュールームの意義は、神であるスワミと対峙する神聖な場所であり、その扉は外界ではなく、内なる世界にむかってひらいている。神様ご自身が鍵を手に、内なる世界への扉をあけてくださろうとしているのに「私意識、エゴ」が立ちはだかっていると扉をひらくことができない。スワミはそのようなことを教えてくださったのでは!と初めて、自然にあの場面をありのままに受け入れることができました。スワミはなんて優しいのだろう、とオセロがひっくり返ったような瞬間でした。この日常においても、スワミが私の巧妙なエゴに気付かせ、砕いて、日々働いてくださっているのだと感じる出来事でした。

 

 ある時、こんな夢をみました。私とある帰依者の方と二人で、スワミが待つ部屋へ行く場面から始まります。スワミは薄暗い部屋で、後ろに手を組んで立って待っておられました。

 私たちがご挨拶すると、スワミは口を閉ざしたまま、心の中に「久しぶりですね」と伝えてこられました。その後、用事が済んだので、再び二人でスワミの前に立ち、それでは帰ります、というふうに手を合わせて立ち去ろうとしました。すると、スワミは立ち去ろうとした私たちに向かって「ちょっと待ってください」と伝えてこられたので、再びスワミに向き直り、言葉を待ちました。スワミは続けました。「あなたは悩んでいるのでしょう?苦しんでいるのでしょう?それなのに、どうして私に相談しないのですか!」

 この言葉はスワミが唇を動かすことなく、心に入ってきて、元々そこにあったメッセージであるかの様に、または二度と消えない焼印かのように、とっても強いので、今もずっと心に残り続けています。でも夢の中の私はポカンとただ見ていました。さらにスワミは続けて「あなたの問題をこれから一緒に解決しましょう」と言われ、まるで円陣を組むように腕を広げて、腰を下ろそうとされるところで夢は終わりました。

 

 実はこの頃、私は悩み事を抱えていましたが、スワミに祈りもせず、する気にもなれず、それどころか「スワミはこんな私を怒るだろうな」と思っていたので、そのスワミのいる部屋には、これ以上長居したくなかったのです。スワミから立ち去りたいという思い、また、隣にいた帰依者は、当時から私が尊敬していた立派な方なので、夢の中でスワミが「久しぶりですね」と語ってくださっても「こんな私にスワミが言葉をかけてくださる訳がない。これは隣にいる素晴らしい人にむかって仰っているに違いない」と他人事のように思ってしまい、感動もなく、無感情で見ていた始末でした。

 

 目が覚めてハッとし、後から後から気づきがあふれてきました。

・夢の中で、スワミが待たれていた部屋は薄暗く「神の愛」そのものである「電流」を通す電気がついてなかったこと。

・また、神ご自身がお座りになるたったひとつの椅子(玉座)がなかったこと。

・神様とたった二人で向かいあうためのハートの中に、私は「誰か」を連れて行ったこと。

・いつもその「誰か」を連れて行くことで、私は自分と他人を比べたり、卑下したり、スワミを見つめないで、人の方ばかりみていること。

・スワミは「久しぶりだね」と仰せでしたが、本当は「いつも」「今すぐ」スワミに会いに行かなければならないこと。

・ハートの中に神様がお座りになる椅子が安置されていなくても、スワミは立ったまま、ずっと待ち続けておられたこと。

 

 今でもうっかり思ってしまうことの一つに、いつかきれいな心になってから。いつかもっと自分が成長してから。いつかもっと優しい人になってから。いつかエゴや怒り、執着が減ってから・・・。「いつか〇〇したら、そのとき、神様に向かおう」というのがあります。いつか、いつか、と私はスワミを遠ざけてしまうのです。でもこの夢のメッセージを思い出すたびに、どんなにひどい自分であっても、良いときも悪いときも、この心の中で、スワミはまるで伴侶のように、いつも私を待ってくださっている、と信じるようにしています。

 

 なかなかうまくいかないことばかりですが、心の中に住んでおられるスワミを、一秒でも多く感じ、また神様の御心にかなった生き方ができますよう祈りつつ。

サイラム

Bro. Mukul Swain

(ムクル・スウェイン)

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シュリ・サティヤ・サイ・ババの神聖な蓮華の御足に謙虚な祈りを捧げます。
 

 私の名前はムクル スウェインで、シュリ・サティヤ・サイ・ハイヤー・セコンダリー・スクール(プラシャーンティ・ニラヤムにあるババの高等学校)の卒業生です。現在、JAIST(北陸先端科学技術大学院大学)で修士号を取得中です
 

 IITガンジー・ナガール(インドのグジャラート州にあるインド工科大学)とJAISTのダブルディグリープログラムの一環として、10ヶ月間だけ日本にいます。今、日本のサイの帰依者の皆さんと一緒にいられることをとても嬉しく思っています。そして私の経験を分かち合う機会を与えてくださったスワミに感謝しています。

 

今回は5つの体験をお話しします。

 

まず1つ目は、私がどのようにしてスワミの元へ来たかです。

2つ目は、私がサイの生徒になるきっかけとなったことです。

3つ目は、10年生の時に見た夢です。

4つ目は、12年生の時に見た夢です。

そして5つ目は、日本に来て勉強する機会を得たことです。

最初は、私がどのようにしてスワミの神の庇護を受けるようになったかです。

 当初、私はシュリ・サティヤ・サイ・ババが誰なのか知りませんでしたが、何人かの友人が日曜日にバルヴィカスのクラスに行っていました。私はよく彼らを見て、どこへ行くのかと尋ねたものです。聞くと、彼らはサイ・センターの、バルヴィカスクラスに行っていると言いました。

 

 私が7歳の時、隣人が家族でプッタパルティに旅行していたことがありました。私は好奇心からその友人にプッタパルティについて尋ねると、「神のダルシャンを受けに行くのだ」と言いました。その答えに呼応するかのタイミングで、数日後、テレビを見ていると、突然、アフロヘアーでオレンジ色のローブを着た人が映っていました。そして偶然にも、次の日曜日に母が私をバルヴィカスクラスに連れて行ってくれました。そこで私は、テレビで見たのと同じ大きな写真を見て驚きました。それで初めてスワミのことを知り、それから定期的にバルヴィカスクラスに通うようになり、そこから神聖な旅が始まりました。
 

2つ目は、私がサイの学生になるきっかけとなったことです。
 

 バルヴィカスのクラスに通い、スワミとその教えについて多くを学んでいたにもかかわらず、私はスワミの施設についてよく知りませんでした。2年後、私の家族はプッタパルティへの小旅行を決心しました。プッタパルティに着いてから、私はプッタパルティの環境が、とても特別で、心が癒されるのを感じました。それに加えて、白いシャツとズボンを着た多くの学生たちがスワミの近くに座る機会を得ていて、いつもスワミの特別な注目を浴びているのを目にしました。その時、私は無邪気な心から、スワミにもっと近づきたい、スワミの愛を感じたいと願いました。
 

10年生のときに見た夢
 

 そして成長するにつれ、私は高等学校の入学手続きについて知るようになりました。ある日、10年生の最終試験の準備をしていたときのことです。スワミがやってきて、期末試験の準備はどうなっているかと尋ねてこられる夢を見ました。私は「スワミ、特別なことは何もありません、ベストを尽くしています」と答えました。するとスワミは、期末試験が終わったらプッタパルティに来るようにとおっしゃいました。そして最終試験が行われている間に、私はスリ・サティヤ・サイ・ハイヤー・セコンドリースクールを受験し、スワミの恩寵によって合格し、入学する機会を得ました。


 高校に入学してからは、学問的な知識を高めるだけでなく、人生の精神的な側面にも取り組む機会がたくさんありました。

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一番手前が Bro. Mukul

 ホステル(学生寮)では毎日が特別な日で、パーラーヤナムのセッション(神話の朗読会)が頻繁に行われ、人々の経験から直接にスワミについてと、その御教えを知ることができました。また、多くのお祭りを祝いながら、その裏に隠された意味を学びました。また、コミュニティでの生活も教わり、その後の人生で大いに役立ちました。


12年生の時に見た夢
 

 日々が過ぎ、私はまた12年生の最終試験に臨まなければなりませんでした。数日後、試験が始まり、化学の実技試験の日に、スワミを信じないとても変わった厳格な化学の実技試験の外部試験官が、スワミの存在について質問もするということを、試験を受けた友人から聞きました。この話を聞いてから、私はとても緊張し、その同じ試験で、自分がどんな成績を取るのか心配になりました。

 緊張した心のまま、私たちは皆、心を落ち着かせるために昼寝をしました。そのとき見た夢の中に、大きな壁があらわれ、そこに3本のロープが垂れ下がっていました。私は少し混乱して、どうしたらいいかスワミに尋ねました。するとすぐにスワミは「心配しないで登り続けなさい」と仰いました。「もし落ちても、私はいつでもあなたを捕まえるためにここにいます。 」

 

それから私は別の質問をしました。「スワミ、頂上に着いた後はどうしたらいいですか?」

 

スワミは「心配しないで、私は反対側であなたを迎えるから」と仰いました。それで夢は終わり、私たちは試験を受けに行きました。

日本に来て勉強する機会を得たこと

 高等学校12年生を卒業した後、私はオリッサ州の大学で化学工学の学士号を取得しました。最初のうちは、外の世界がそれまでの生活と大きく異なっていたため、大学に馴染むのにとても苦労しました。しかし、スワミの学校で学んだ教えと価値観が、外の混沌の中を安全に航海するのにとても役立ちました。

 

 両親もその大学での私の生活を心配していましたが、スワミのご加護のおかげで、私はどんな無秩序や混乱にも巻き込まれることなく過ごすことができました。そして学部課程が終わりに近づくにつれ、私はまた進学のことを心配するようになり、JAIST(北陸先端科学技術大学院大学)で修士号を取得したいと思うようになり、北陸先端科学技術大学院大学の何人かの教授に願書を出しました。

 残念ながら、その時は修士課程に進む機会を得ることはできませんでした。しかし数ヵ月後、スワミの恩寵により、私はインドの最高学府のひとつであるIITで修士号を取得する機会を得ました。

 入学して1週間後、IITがJAISTと共同でダブルディグリープログラムの候補者を選考する面接がありました。

 

 このプログラムでは、修士課程の1年目をインドのIITで、修士課程の2年目を日本のJAISTで学びます。そこで、M先生(スワミの帰依者)が面接のメンバーとして参加しているのを見て、本当に驚きました。そして、スワミがいかに綿密にすべてを計画されていたかを感じました。

 間違いなく、私は面接に対してとても緊張していましたし、面接でどのようなパフォーマンスができるか少し心配していました。しかし、スワミのご加護のおかげですべてがスムーズに進み、夕方には面接の結果が出ました。自分が選ばれたことを知って驚きました。そして家族もとても喜んでくれました。そしてまた、私の人生にスワミの祝福を感じることができました。

 

 それは面接の結果だけでなく、スワミがどのようにすべてを計画し、驚くことに私が望んだ以上のものを与えてくださったかということでした。またこの経験は、人生で予期せぬ状況に直面したとき、いかに失望してはいけないかを教えてくれました。

 

 私がこれまでに経験したすべてのことを振り返ってみると、それらはすべて、スワミのご計画を完全に信頼してスワミに身を委ねれば、あとはどうにかなるということです。

 

辛抱強く読んでくださって本当にありがとうございました。

このような機会を与えてくださったスワミに感謝します。皆さん、ありがとうございます。

Jai Sai Ram

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ガネーシャ チャトルティ 日本海にて

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プロフィール :  Bro. ムクル スウェイン

インドのオリッサ州ブバネーシュワル出身。IITガンジー・ナガール(インドのグジャラート州にあるインド工科大学)と、JAIST(北陸先端科学技術大学院大学)に在籍中。「2023年9月 金沢・名古屋センター合同ガネーシャチャトルティー」の礼拝でプジャリを務めた。現在、金沢グループに所属し、バジャンリードシンガーや、全国スタディサークルで活躍中。

Sis. Anusha Pradhan

(アヌシャ・プラダン)

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神戸センターにて

プロフィール:インドの西ベンガル州の町カリンポン (Kalimpong) 出身。2012年 シュリサティヤサイ大学(アナンタープール女子カレッジ)を卒業。2015年 SMITを卒業後、2019年 九州工業大学にて化学の博士号を取得。2019年~2023年国立北陸先端科学技術大学院大学にて、博士研究員として過ごす。現在は大阪大学勤務。専門はリチウムイオン電池。 

オームサイラム

マザーサイの神聖な蓮の御足に身を捧げます。

 

 私の名前はアヌシャ・プラダンで、2009年から2012年までシュリサティヤサイ大学アナンタプールキャンパス(アナンタープール女子カレッジ)で学びました。そこで学んでいる間、私はスワミの教えをたくさん吸収することができました。

 

 私たちの学生生活には、心と体の健康を訓練するための日課がありました。一日はスップラバータムから始まり、ヨガのセッションが続きます。それから、それぞれのクラスごとに大学に行きます。授業が終わると寮に戻り、またスポーツの準備をします。その後、バジャンセッションを行い、夕食をとります。その後で勉強の時間があり、夜のお祈り後に眠ります。さらに、時間管理や新しいことを学ぶために、たくさんの課外活動もありました。

 

 この日課は、私たちに時間管理の大切さを教えてくれました。自分の体と心を大切にすることを教えられ、同時に、先生や生徒たちによる多くのセヴァ活動も行われました。それでは、私の日本での生活とサイの活動についてお話したいと思います。

 

 私は2016年に日本に来ました。それ以来、ここで様々なサイの活動に関わる機会を頂き、スワミに心から感謝しています。日本で最初に住んだのは北九州でした。私は帰依者から北九州サイセンターを

紹介され、バジャンセッションやセヴァ(掃除など)の活動に積極的に参加しました。それらの活動は私に平安と幸福を私に与えてくれ、人々の幸福への愛が、私の心に生まれました。

 

 また、福岡サイセンターをよく訪れ、そこでもナーラーヤナセヴァを含む様々なスピリチュアルな活動が行われていました。分かち合い、与える喜びは、私に計り知れない喜びと満足感、充実感を与えてくれました。これが、サイセンターを訪れるたびに家に持ち帰る幸せでした。

 

 その後、2019年に私は石川県に引っ越しました。そこでも私はサイファミリーに迎えられました。バジャンセッション、レディース活動、セヴァ活動、スタディサークルなどを通して、私はスワミに近づいていきました。

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​金沢サイレディース

 女性たちの活動には、スピリチュアルなリサイタルやバジャンを学んだり、海岸を掃除したり、ナーラヤナ様のためにマスクを作ったりすることなどがありました。マスク作りと言えば、スワミとのちょっとした出来事というか、体験をお話ししたいと思います。

 

 2020年3月7日、私の夢にスワミが現れました。スワミはダルシャンの時間にヤジュールマンディール(お住まい)から車椅子で、クルワントホールに向かってお出ましになりました。しかし、スワミはひどく苦しんでおられ、背中を約45度の角度で椅子に預けておられました。そして驚いたことに、スワミが、マスク(COVID-19用の製品の1つ)をしておられたのです。車椅子に座り、お顔にマスクをされたまま、スワミはクルワントホールの女性側を通り過ぎられました。そして私は、他の多くの女性帰依者たちと一緒にそこに座っていたのです。スワミは道を横切られるとき、とても寛大なまなざしで私を見ておられました。しばらくして、スワミはマスクもせずに、また歩いて女性側に戻られました。しかし、スワミはまた同じように寛大なまなざしで私を見ておられる場面で、夢は終わりました。

 

 金沢のサイレディースたちの支援と統率力により、私たちはスワミの夢を現実に実行しようとしました。金沢のサイレディース全員がホームレスの人々のために手作りのマスクを用意し、名古屋サイセンターの帰依者たちに送り、段取りと配布は名古屋の帰依者たちによって行われました。私はこの神聖な夢を実行に移す特権と祝福を感じました。コロナウィルスのピーク時にスワミの夢を実現するために貴重な時間を割いてくださった金沢サイファミリー、金沢サイレディースに感謝します。

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名古屋でのナーラーヤナ セヴァ

 長年日本に住んでいますが、今年大阪に引っ越しました。サイファミリーの一員であることは、どこに行ってもサイとのつながりを保つのに役立っています。神戸と大阪のサイセンターを訪れたことがありますが、バジャンセッションに参加するたびに経験する至福と平安は、私をスワミに近づけてくれます。平和と調和を広めてくれているスワミと、ここの帰依者たちにとても感謝しています。

 

 スワミが私達一人ひとりに望んでおられる使命を遂行できるように願っています。私はスピリチュアルに強くなり、行く先々で幸せと平和を広めたいと願っています。私はただ今を生き、神の存在を感じたいのです。                                  

ジェイ サイ ラム

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海岸清掃セヴァ

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サティヤサイサナータナ サムスクルティ

(永遠の遺産博物館)の定礎式展にて

神は困っている帰依者を放っては置かない

- 新型コロナ感染にスワミの恩寵-

東京サイセンター  清野 哲生

オーム・シュリ・サイラム

 

 私が初めて東京サイセンターに伺ったのは、1994年の全国大会のチラシを貰うことがきっかけでした。そのときの大会では、来日したヒスロップ博士が講演されていました。

 

 1996年には、グルプールニマに参加するため、プッタパルティにも行きました。帰国後からは献血セヴァに参加するようになり、ナーラヤナセヴァやサイラムニュースの発送セヴァにも携わってきました。

 そして、新型コロナ第5波が収束し始めた2021年9月のことです。毎日新型コロナ関連のニュースが一日中流れており、私も十分気をつけていましたが、新型コロナに感染してしまったのです。まだオミクロン株が登場する前の、感染症による死の影が色濃いころでのことです。ワクチン接種も2回済ませていましたので、とても動揺しました。

 

 私は仕事の拘束時間が長いので、休日は大切なリフレッシュの時間です。休日には完全に気持ちを切り替えるために、東京を離れて海へ写真を撮りに行ったり、運動不足を解消するためのウォーキングをしていました。

 

 ある日のこと、三浦半島の海辺沿いを長距離ウォーキングしての帰りの電車の中で、普段の疲れとは違う、体がやけに重くなっているのを感じていました。シートに座ると東京まで眠りこけてしまい、なんでこんなに体が重いのか、不思議に思えて仕方がありませんでした。

 

 翌日、午前中の仕事を終えて昼近くになったとき、それは突然襲ってきました。体の芯に少し何かの衝撃を感じて、急に気分が悪くなりました。熱っぽく感じたので体温計で計ったところ、ピタリ37度5分の数字でした。「やられた」と思いました。すぐさま♯7119に電話して、発熱外来を調べて電話しましたが、どの大病院、どの大学病院からも断られてしまい、一瞬途方に暮れました。

 

 どうすれば良いのかを考えていると、スーッと体が軽くなり、体温を計ると平熱に戻っていました。安堵したのも束の間、しばらくしてまたズンと重くなり、再度計るとまた37度5分に上がっていました。

 

 大病院はあきらめて、近所のクリニックに電話すると、町内の別のクリニックが発熱外来を担当していると紹介され、そのクリニックで診察してもらえることになりました。そこでは、たんに解熱剤と咳止めを処方されて、診察が終ろうとしていました。医師にPCR検査を要望しましたが、ワクチンを2回打っているので必要ないと言われました。それでも強くお願いして、ようやく検査をしてもらえました。翌日、検査結果を「陽性でした」と告げた、医師の沈んだ声が印象的でした。

 

 私は保健所預かりになるため、「保健所の指示に従ってください」と言われ、その指示を自宅で待ちました。処方された解熱剤と咳止めを服用したお陰で、体は少し楽になっていましたが、連絡を待つ間、不安な気持ちを抑えることはできませんでした。そのうち保健所から連絡があり、入院かホテル療養、もしくは自宅療養か、今、保健所で検討しているのでもう少し待って欲しいとのことでした。ニュースでは抗体カクテル療法という有効な治療法が話題になっていましたが、貴重な療法なので患者全員が受けられるかどうか分からないという報道がなされていました。

 

 しばらくして、ようやく病院のベッドに空きが出たので入院できることになったと、保健所から連絡がありました。

会社に連絡して休みの許可をもらい、東京サイセンターのセヴァ仲間にも、当分セヴァに参加できないこと、やりかけのセヴァの後を頼んでおきました。保健所から迎えの車が来て、後部座席に乗り込みました。その車は、後部座席がビニールで完全に運転席から隔離されており、換気用のパイプが外に出ている、完全隔離の仕様になっていました。

 病院に着くと、玄関に医師と看護師が数人待機していて、一列に隊列を組んで看護師、医師、私、看護師の順で病院の中に入りました。その際に、廊下は真ん中を歩くように指示され、壁に近づかない様に歩くことと注意されました。

 そして部屋に着くと一人で入室し、監禁状態になりました。廊下には一歩も出ることはできないと言われ、クオカードを渡されました。必要な物は全て、看護師が階下の売店で購入してくれるとのことでした。

 看護師や医師は映画のシーンのように病室に出入するたびに完全防御服を身に付け、部屋を出るたびにそれをポリバケツの容器に脱ぎ捨てるというシステムでした。そのような異様な雰囲気は初めて経験しました。全ては国費で賄われる患者であり、患者は病院の管理下に置かれ、わがままは許されないという雰囲気でした。

 

 入室してすぐにレントゲンを撮ると言われてベッドに横になって待っていると、廊下にゴロゴロという音が聞こえてきて、オウムガイのお化けのように大きならせん状の機材が運ばれてきました。移動用のレントゲン撮影機材で、ベッドに横になったまま肺の撮影が行われました。

 私の診断結果はすぐに知らされました。肺の一部に1㎝ほどの肺炎が認められ、中等症1の軽症ということでした。熱を自覚してから、まだ三日しか経っていません。進行の早いのに驚きました。

 運のよいことに、パンデミック第5波が収束してきた頃だったので、入院患者が少なかったこともあり、貴重な抗体カクテル療法をしてもらえることになりました。

 病院についてから、治療が始まる前にクリニックで処方された、解熱剤と咳止め等の薬剤が没収されました。その薬効が切れると、あの苦しい苦痛が復活しました。これから始まる病院での治療がどういう効果があるか、素の状態に体を戻して検証すると言うことでした。

 

 そしてもう一つ、私はセンター活動をしている期間は、長年、菜食を続けていましたので、提供される食事にまいっていました。魚と肉が交互に出て来るメニューでした。病院管理優先と言われ、それに医療チームの自らの身を守る警戒心からか打ち解けた雰囲気は全くなく、患者とのコミュニケーションも必要最小限という状況で、とても「食事メニューを菜食でお願いします」とは言い出せませんでした。

 空腹を感じるほどの食欲もなく、病状からなのか栄養状態からなのか、体の力が弱くなってきているのを感じていました。それまでに出てきた食事のおかずを、ことごとく手を付けずに残していたのですが、看護師からの問い掛けはありませんでした。

 

 そんな入院生活が数日経過していく中で、その日の夕食前に、ベッドの上でいつものマントラを唱えていると、Bro.小栗からスマホに着信がありました。「どうしました?」と尋ねると、「マントラが聞こえてきたので」という話でした。

コロナに罹ってしまった、という短い会話で電話を終えましたが、その電話の直後から病院中の空気がガラッと変わりました。看護師や医師たちの顔が柔和になったのです。

 

 その後の食事で出たおかずは、またもやキャベツの量が極端に少ない豚肉のキャベツ炒めでした。しかしながら、看護師がそのまま残されているおかずを見ている雰囲気に、話しかけられる状況があるのを感じました。

 

 「実は、食欲が無いのではなく、長年、菜食をしてまして・・・」と言うと、「おかずを残していることがずっと気になっていました」と看護師が言い始めました。体調が悪くて残していると思っていたと。そしてすぐに、調理係に特別食に切り替える手はずをしてくれました。

 自分で交渉して解決したかも知れないし、治療とは直接関係ない、生きるか死ぬかの状況にいる患者には、とても些細な問題かも知れません。しかしながら、困っている中あのように空気がガラッと変わった瞬間、スワミの愛が届いたのだと実感しました。そして、人間は愛を受け取ると、こうも変わるのだとも実感しました。

 

 それからの食事は、豆腐や野菜炒めの大盛りなど、サービス満点のおかずで大満足でした。おそらく、このような患者への親切な対応が本来の医療スタッフの姿なのに、コロナ治療という極度の異常な緊張と警戒心で固くなってしまっていたのだなと思いました。スワミの言う愛の偉大な力を実体感できるように、見せてもらった気がしました。人間に愛が満たされると、こうも違うものかと感心させられる出来事でした。

 

 そして又、巨大オウム貝のような機材がゴロゴロと運ばれてきて、二度目のレントゲン撮影がありました。血液検査も行われ、治療の効果を診断することになりました。抗体カクテル療法のお陰か、そのほかにも行っていた療法も合わせてのことなのか、なんと二日後には退院できるという結果でした。入院して5日目のことでした。肺炎は解消され、コロナは陰性になっていました。

 逆ジェットコースターに乗った気分で、どんどん急坂を下がっていき、破滅の地底に到着するかと思っていると、急に方向転換して急角度で上昇して、明るい青空の雲の上に出た、という気分でした。

 コロナに罹る運命だったとしても、スワミはその時期を第5波の収束期に調整して、入院を可能にしてくださいました。治療の便宜も図ってくださり、抗体カクテルを使えるようにして、一週間で退院できたのでした。さらに抗体値を異常に高い数値まで上げて、退院後にコロナに罹りにくい体にしてくださったのです。スワミはすべてのことが安全に運ぶように、配慮してくださったと思っています。

 

 「苦痛や困難は神からのプレゼントです」という御言葉があります。困難を通り抜けると明るい方へと導かれていくのだ、ということを実感せずにはいられない体験でした。

 

感謝、感謝、合掌

​スワミと私

Dr. Pradeep Kumar Badiya 

(プラディープ・クマール・バディヤ博士)

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私を不浄から浄性へと導いてください

私を闇から光へと導いてください

私を死から不死へと導いてください

オーム

シャンティ  シャンティ  シャンティヒ

スワミをどう思っていたか?

 それまで私はスワミについて、何も知りませんでした。私は、スワミがかつて生きていたラーマ神やクリシュナのような存在だと思っていました。幸いなことに、私は2007年にプラシャーンティ・ニラヤムのシュリ・サティヤ・サイ大学(SSSIHL)の学士課程に入学しました。

 当時は、シュリ・サティヤ・サイ大学に幾つかの異なるキャンパスがあることも知りませんでした。入学試験の間も、スワミにお目にかかることはありませんでした。というのも、その年、スワミはブリンダーヴァンにおられたからです。

 私にとって、初めてのスワミのダルシャンは、(木曜日に定期的に行われている)道徳の授業でした。肉体のスワミを見たのは、その時が初めてで、スワミはサイ・ギータについて話されました。

 スワミのペットの象は、その年に亡くなりました。スワミは、サイ・ギータのことを語りながら、子供のように泣かれたので、私たち全員が涙を流してしまいました。私はスワミをこの目で見、スワミは生身の人間として実在していたのです。いつから私の思いや考えが鮮明になり信仰が培われたのか、自分でも正確にはわかりませんが、それ以来、スワミへの信仰は深まり続けています。

 

 私はサイ大学の吹奏楽部に、学部の2年生(2008年)で入部し、スワミとの直接の交流は、それ以降です。私はバンドでクラリネットを吹いていて、行進の時は行列の最後列に立ちました。スワミは私のすぐ後ろにいらっしゃいました。私はスワミと同じテルグ語を母国語としています。

 すべてのプログラム(招集、誕生日、賞品配布など)の後、私はスワミに話しかけました。スワミはいつも「チャラ・バグンディ」(とても良いね)と明るく言ってくださいました。

 

化学専攻

 

 学部2年生の終わりには、スワミにお尋ねしてからコースを選ぶのがいつもの習慣でした。ある人はスワミに話しかけ、生物科学と化学のどちらを取るべきかを尋ねました。でも、私はスワミに意見を聞くのが怖かったのです。化学を取りたかったからです。スワミに尋ねると、生物科学を選ぶように言われるかもしれません。

 あるバンドの演奏が終わった後、私たちはヤジュルマンディラムの前に立っていました。私はスワミの近くに行き、「スワミ、私は化学を学びたいのですが、どうか祝福してください」と伝えました。スワミは優雅に微笑まれ、私はそれをイエスと受け取りました。

 シュリ・サティヤ・サイ大学で学士課程の後は続けられないと思っていましたが、スワミの恩寵で、化学専攻で修士号から博士号まですべての学問を終え、シュリ・サティヤ・サイ大学での勤務もしました。2007年から2022年までプラシャーンティ・ニラヤムに15年間いました。

85歳の誕生日を祝う

 例年、11月22日は、バンドマンにとって最初の演奏となることが多かったのですが、2008年は、11月17日の「サハッスラ プールナ チャンドラ ダルシャナ(注1)」の最終日に、私はスワミの前で演奏する機会を得ました。

 スワミは常にすべての人々を覚えていて、決して失望させることはありません。私の最高の瞬間の一つをお話ししたいと思います。私たちバンドマンは、スワミの誕生日を祝うことを誇りにしており、スワミの誕生日を早くにお祝いする数少ない人間です。

 2010年、スワミの85回目の誕生日のことでした。カレンダーは、世界中の帰依者のプログラムで埋め尽くされていました。どのバンド(少年、少女、小学校)でも、主催者が時間を調整するのが大変でした。祝賀会はヒルビュースタジアムで行われていました。午前中、私たちは行列に参加しました。

 スワミは黄金の馬車でやって来られました。私たちは「ハッピーバースデー」を演奏し、スワミの誕生を祝いました。

シャーンティ・ヴェーディカー(スタジアムの演壇、スワミやVIPの観覧席)に向かう間、私たちは「ハッピーバースデー」を演奏し、スワミに挨拶をしましたが、周囲には大音量の音楽が流れ、多くの帰依者たちがいて、私たちの願いはスワミに届かなかったに違いないと思っていました。夕方、バンドボーイたちは皆、クルワントホールでスワミを待っていました。

 もしチャンスがあれば、せめて一回はスワミに「ハッピーバースデー」を伝えることができるかもしれないと思っていました。さまざまなグループの帰依者たちも、ケーキを持ってスワミを待っていました。

 その晩、私たちは「バースデーソング」を8回演奏することができました。スワミはあちこちを回って、すべての帰依者を祝福されていました。そして、私たちバンドボーイのところに来て、全員を祝福してくださり、微笑みながら「シャーンティ・ヴェーディカーで帰依者が待っているから、私は行く」と仰いました。

 その日、私たちは合計で9回スワミにバースデーソングを捧げました。私たちは皆、それぞれがとても幸せで至福の時を過ごしました。私はあの日、あのスワミとの個人的な時間を永遠に大切にしたいと思います。

 

 バンドの練習中、バンドボーイはいつもこの2つの祈りを唱えます。

 

サマスター・ローカー・スキノー・バヴァントゥ

すべての世界が幸せでありますように

SAI RAM

プラディープ・クマール・バディヤ博士

 シュリ・サティヤ・サイ大学 プラシャーンティ ニラヤム校卒業。2007年シュリ・サティヤ・サイ大学の学士課程に入学し、2012年に修士課程、2014年に化学の修士課程修了。2017年シュリ・サティヤ・サイ大学でBSRフェローシップ(UGC-India)のもと、プラズモニクス、バイオプロセス、分析化学の分野で博士号取得。2017年から2022年までシュリ・サティヤ・サイ大学で研究員として勤務し、その後来日。15年間プッタパルティで過ごし、スワミと多くの交流があった。現在、北陸先端科学技術大学院大学の博士研究員。

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シュリ・サティヤ・サイ大学博士号授与式

金沢グループにおいても、ナーラーヤナセヴァやバジャンのリード等で活躍中。

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名古屋でのナーラーヤナセヴァ

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※注1:サハッスラ プールナ チャンドラ ダルシャナ:人類の幸福と世界平和のために行われた神聖なプログラム。2008年11月15日(土曜日)の朝に始まり、2008年11月17日(月曜日)にプールナーフティ(注2)で最高潮に達した。インドのさまざまな地域から到着した何百人ものヴェーダ学者によって実施された。神の化身の1000の満月の日の完了のお祝いは、ユニークで縁起が良く、神の化身の祝福を受けることによって、自分たちの生活を聖化する類いまれな機会。

※注2:プールナーフティー:犠牲の火への最後の奉納

https://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19621007.html   

奇跡は信心を深めるための
名刺代わり

(Bro. 田村克金沢グループ)

オーム シュリ サイラム

 

 2019年3月~2019年4月にかけて、水の神様のお祭りにプッタパルティへと、義母と妻が行かせて頂きました。その時に、ガヤトリー女神様像を求めました。妻は、以前からガヤトリー女神様の像を求めようと思っていたので、プッタパルティ滞在中に店へ行き、店員に勧められたまま、何の疑いも持たずに一体の像を購入し、帰国しました。ところが、日本に帰ってから弟に見せると、「これはガヤトリー女神様ではないのではないか。」と言われ、驚いた妻は、定例会などに参加されているサイの学生さんに聞いてみることにしました。そこで、その像はガヤトリー女神様ではなく、ラクシュミー女神様だという事が分かったのです。

 少し話が前後しますが、妻が女神様の像を購入した時より以前に、私が尿管結石を患い、痛みで苦しんでいた時がありました。それを弟が心配してラクシュミー女神様の聖画と、ニーラースークタムのCDを持ってきてくれました。弟は、スワミの御言葉で【健康も富の1つです】と言われていた観点から、ラクシュミー女神様への信仰を私に勧めようと考えたそうです。そこで、聖画を自宅の祭壇の隣りに置かせて頂き、毎日仕事が終わって帰宅してから、ニーラースークタムを唱えることにしました。お蔭様で、医者に聞かされていた痛みよりも、はるかに軽い痛みで済みました。その聖画の前に、妻がインドから持ち帰ったラクシュミー女神様像を置かせていただく事にしました。

 それから約2ヶ月半後の6月25日。朝のお祈りの時、ふと見るとラクシュミー女神様の台座の下に何かある事に気付きました。ヴィブーティのようでしたが、普段見ているヴィブーティと少し違うような淡黄色で、また、とても小さな点状態だったので、どう判断すれば良いのか分からず、しばらく様子を見ることにしました。

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 6月27日、晩のお祈りの時、義母が台座からヴィブーティの落ちてきたのを目にしたらしいのです。その夜、妻が仏間に入り、台座の別の所にブッダによく似た姿(皆がそう感じた)のヴィブーティの塊が現れている事に気づきました。その後、家族の全員が揃って見た瞬間、その塊が崩れました。

 

 ヴィブーティはその後、毎日ではありませんが、時々出るという事が11月末まで続きました。ヴィブーティは、その都度、容器に入れさせて頂く事にしました。

 同じ年の2019年10月20日、弟が脳内出血で緊急入院しました。その知らせを聞いて大変驚き、すぐに病院に行こうとしましたが、その時に、ふっとこのヴィブーティのことを思い出し、容器を持って病院に駆けつけました。そして、体にそのヴィブーティをぬりました。弟は、その後、医者から出血場所が奇跡、と言われ、また、後遺症もなく、退院することが出来ました。退院後は、難なく車の運転もしていました。私見ではありますが、まさしく、このヴィブーティが弟に何らかの奇跡を示してくれたのではないかと感じました。

 改めてヴィブーテイの出ていた時の写真の日付を見ますと、なぜかわかりませんが、2020・2021・2022年の7月に出ていた事に気付きました。私は、プッタパルティに行ったことも、肉体のスワミにお会いしたこともありませんが、この奇跡の体験を通して、スワミが常に見守って下さっていることを実感し、スワミをとても身近に感じることができました。私と妻は、【奇跡は信心を深めるための名刺代わり】という御言葉から、もっともっと信心を深めなさい、というスワミからのメッセージなのではないかと思っています。

ジェイサイラム

田村克

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Bro. Mantripragada Bharat Srimitra
(Bro. マントリプラガダ バラット シュリミトラ)

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インドのテランガーナ州コダット(Kodad, Telangana, India)の伝統的なヒンドゥー教の家庭に生まれる。

2014年 サティヤ・サイ大学理学部入学

2014年~2017年 ブリンダーヴァン校にて理学士取得(化学専攻)

2017~2019年 プラシャーンティ ニラヤム校にて理学修士(化学)課程修了2019年 サティヤ・サイ大学卒業

2019年 文部科学省の国費留学生として来日

2022年 国立北陸先端科学技術大学院大学にて、マテリアルサイエンスの博士号修了

現在は同大学の研究員。

SSIOJにおいては金沢グループに所属し、全国のスタディーサークル、ナーラーヤナセヴァ、バジャン等、多岐にわたり継続したセヴァで活躍している。

 スワミはかつて「私の意志がなければ、誰もプッタパルティに入ることはできない」とおっしゃいました。プッタパルティはインドのただの町ではなく、神の愛が肉体を得て人類を向上させるために、人間の生活を営んだ場所です。

 

 スワミは、私が2014年4月21日にプッタパルティに来ることを決めてくださいました。プラシャーンティニラヤムに滞在している間、私は独特の幸福感を味わい、スワミの教育機関に魅了され、サイ大学に入学しました。

 

 ホステル(サイ大学の学生寮)に滞在していた頃は、多くの生徒や教授がスワミと一緒に体験した奇跡を話していました。それらの体験に興味を持った私は、自分の人生にも奇跡が起こるようにとスワミにお願いするようになりました。これはおそらく、私のスワミとのスピリチュアルな生活の初期段階であり、私はしきりと祈り、神の奇跡を求めました。

 しかし、スワミは何を与え、何を与えないかをご存知です。ホステルにいた頃、私は特別な奇跡を体験していません。しかし、奇跡を求める私の探究心は 、スワミは奇跡を起こすから神なのではない、神だから奇跡を起こせるのだ、ということに気づきました。スワミは神だから奇跡を起こすことができるのです。

 

 それからの私は、奇跡を体験することを求めるのをやめ、神を体験することを求めるようになりました。こうして、ホステルにいた頃の私は、無私の奉仕を通してスワミとつながることができました。

 

 サイ大学のある教授は、「スワミの最大の奇跡は、スワミが学生を自分の世界に連れて行くことです」「学生を自分の仲間に入れ、その人を良い人間に育てることです」と言っています。ホステルは、学生が人格を形成するための一つの手段です。 スワミの愛は、一度味わうともっと欲しくなるものなのです。

 

 このように、私は5年間、スワミの教育機関において、様々な素晴らしいイベントやお祭りに参加し、スワミの愛を体験することができました。時間が経つのはとても早く、5年という年月が、たった5ヶ月のように感じられました。時々、もしサイ・アバターが誕生しなかったら、私やサイの帰依者はどうなっていたのだろうと思います。

On a parched heart,

He showered a stream of nectar.

乾ききった心に

彼は甘露のシャワーを浴びせてくれた

To a swagger mind,

He showed a purpose.

振り回される心に彼は目的を示してくれた

 

To a turbulent soul,

He gave peace.

乱れた魂に

彼は安らぎを与えてくれた

 

To a lost traveller,

He showed the path to reach him.

迷える旅人に

彼は彼にたどり着くための道を示してくれた

 

To an endless journey,

He showed the destination.

終わりのない旅に

彼は目的地を示された

 スワミが化身となるという決断をしたことで、何百万人もの人生の方向性が変わりました。このことを私たちは感謝しなければなりません。

 

 その後、松見先生の助けで、私は日本で勉強する機会を得ました。これは私の人生にとって大きな変化でした。というのも、5年の間、サイの学生や先生方と一緒にいることに慣れ、そしてスワミの場所の平安な雰囲気に慣れていたため、スワミの側を去ることは、私の人生において最大の決断でした。

 

 日本に来たばかりの頃は、スワミの所に帰りたいと思っていました。しかし、スワミは「拡大が私の人生だ」とインスピレーションをくださいました。スワミの愛は一つの場所に縛られることではありません。私はすぐにサイの使命の寛大さを体験するようになりました。

 

 サイ大学に滞在している間、私は多くの人がサイの帰依者の献身について話すのを耳にしました。日本から来たサイの帰依者たちの献身的な姿について、多くの人が話しているのを耳にしました。そして私は日本に滞在するなかで、それを直接体験することができました。

 

 金沢グループのバジャン会で、バルヴィカスの生徒がナーラヤナ ウパニシャッドを唱えるのを初めて聞き、ここの帰依者の献身的な姿に驚かされました。おそらく、これが拡大の一例なのでしょう。個人的に私はスワミに会ったことはありませんが、スワミの御教えにあるように、拡大が彼の人生であるなら、彼の人生は今も続いているのです。

 

 サイの活動は広がり続けています。バジャン、スタディーサークル、ナーラーヤナ セヴァなど、様々な活動によって、私はスワミとつながり続けることができました。

 

 スワミはプラシャーンティ ニラヤムにいます。まさしく、それは真実でしょう。プラシャーンティニラヤムはプッタパルティだけでなく、神の愛を求めるすべての帰依者の心の中にあるのです。プラシャーンティ、すなわち平安は、心に神への愛があるときにのみ達成されるのです。

 

 日本での滞在は、このようなプラシャーンティの獲得にさらに役立ちました。スタディーサークルのような活動で、私は毎回スワミの講話を読み、ディスカッションに参加するようになりました。これは良い習慣です。ジュニャーナ・ヨーガ(英知のヨガ)と言えるでしょう。

 

 毎月のバジャン会も、今までとは違う体験です。というのも、以前はバジャンのリードボーカルをしたことがなく、音楽の知識も極めて乏しかったからです。初めてバジャンのリードを歌ったのは日本でしたが、最初はリードを歌うことに苦労しました。今でも得意ではありませんが、日本の帰依者のヒンディー語学習に対する熱心さには頭が下がります。馴染みのないヒンディー語のバジャンを学ぼうとする日本の信者の献身的な姿に刺激され、毎回バジャンに参加するようになりました。日本での滞在がなければ、私は決してリードシンガーになることはなかったでしょう。

 

 このように、日本での滞在は、バクティヨーガ(帰依のヨガ)の別の側面を知る上で、とても役に立ちました。私はスワミに感謝しています。

 

 もう一つ、私が参加できる素晴らしい活動、それは名古屋でのナーラーヤナ セヴァです。カルマ・ヨーガ(行為を神に捧げるヨガ)は、個人的に大好きなヨガです。

 

 スワミの大学にいた頃の、私とスワミのつながりは、献身的な活動を通じてでした。自立のための様々な活動やその他のセヴァの活動を通して、スワミとつながりました。スワミのために働くことは、私のスピリチュアルな生活において、とても重要なことでした。そのような仕事では、個人の選択を放棄し、結果を神に捧げるのです。日本での私の生活には、こうした側面が欠落していることが何日もありました。

 

 ありがたいことに、私はサイの兄弟姉妹から名古屋のナーラーヤナ セヴァを紹介されました。この毎月の活動で、約100人のホームレスの人々と、愛とスワミの祝福を共有しています。スワミは奉仕を受けている人々を、神の形であるナーラーヤナと名付けられました。実際、どの身体や物体が、神の形ではないと言えるでしょうか?スワミはすべてを創造したのです。その神の形とも言える、あらゆるものすべて、それが、神の奇跡なのです。先ほど、私はスワミの奇跡を一度も体験したことがないと言いましたが、今にして思えば、私たちや他のだれか、あるいは、私たちの周りで起こっていることはすべてスワミの奇跡であり、私たちの体験なのです。美しい新緑の木々を見るたびに、緑の葉が赤くなっては散り、また花を咲かせるのを見るたびに、私たちはスワミの奇跡を体験しているのではないでしょうか。

 

 サイの組織におけるすべての活動は、私たちをスワミに近づけるようにデザインされていると私は信じています。そして、私たちの人生そのものが、スワミの美しい体験になるのです。私にとってのこれらの活動は 、プラシャーンティニラヤムから離れていても、創造主は私を一人にしてはいないのだという安心感を与えてくれます。私は、スワミが私だけでなく、私たちの誰をも一人にしないことを祈っています。

In darkness,

When I’m afraid,

Don’t let go of me.

Hold my hands,

Become my Light.

暗闇の中で 私が恐れているとき

私を離さないでください

私の手を握って

私の光になってください

 

In ignorance,

Don’t get irritated on me.

Hold my hands,

Become my knowledge.

無知の中で

私が苛立ちを覚えないように

私の手を握って

私の知識になってください

 

When I’m weak and despair,

Stay with me,

Become my strength.

私が弱く、絶望しているとき

私といて、私の強さになってください

 

If I’m bad,

Don’t let go of me.

For in your absence,

I might become worse.

もし私が悪者になっても

私を手放さないでください

あなたがいない間に

私はもっと悪くなるかもしれない

 

In my celebration,

Stay with me,

Become smile on my lips.

私のお祝いの席で

私といて、私の唇に微笑んでください

 

Stay with me,

Comfort me in sadness.

私といて、悲しみの中で私を慰めてください

 

Stay with me,

As long as words stay with language.

言葉が言葉のままである限り

私といてください

 

Stay with us......swami, become our hope.

私たちといてください.....スワミ

私たちの希望になってください

 祈りは人間の唯一の強さであり、神の唯一の弱点であると言われています。私たちは、自分たちの強みを伸ばし、力をつけ、神を存分に体験しましょう。皆さんのこれからのスピリチュアルライフが幸せであることを祈っています。

JAI SAI RAM

 注釈:文中の詩はすべてBro. Mantripragada Bharat Srimitraがサイ大学時代に書いた自作。

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Sis. Chintalapati Soudamini(チンタラパティ・ソウダミニ)
2022年10月16日 金沢グループでのスピーチより抜粋

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Om Sri Sai Ram

Kanula Mundara Kadali Aade Kruna Roopamu Neevu

あなたは私たちの目の前で動く 慈悲深い姿である

Pilachinantane palukarinche Prema bhavamu Neevu

あなたは、私たちがあなたを呼ぶと すぐに応えてくれる愛のかたち

Neeve Maa Sarvam Neeeve Maa Praanam

あなたは私たちのすべてです あなたは私たちの人生です

 スワミ、私はあなたの神聖な蓮華の御足に、心からの祈りを捧げます。このような機会を与えてくださった、皆さん一人ひとりに感謝を込めて、サイラムと挨拶いたします。私はあまり経験豊富な人間ではありませんが、サイの兄弟姉妹の一員であることで感じたことを分かち合いたいと思います。

 ある学校の生徒の体験談から紹介します。

 道徳の授業で、先生が「信仰は山をも動かす」という話をしました。一念は天に通じるという話でしたが、 その子はその授業以降、何度も何度も、目を閉じて、「一念天に通ず」と言い続けました。「天に通じる。一念は天を動かすことができる・・・」 と、同じことを繰り返していました。

 その日のダルシャンで、スワミはインタビュールームに入って来られ、多くの人々とお話しされていました。その子は目を閉じて、「一念天に通ず」と言いました。すると突然、その子の周りが静寂に包まれました。その子が目を開けると、スワミが目の前に微笑みながら立っておられ「一念天に通ず(Faith can shake mountains)」とおっしゃり、去って行かれました。 その子は、スワミが自分に話しかけてくれたことをとても喜んでいました。その子がもっていた信仰と、繰り返し言い続けた、その熱意がスワミを呼び寄せたようです。

 

 スワミは「祈りは神との電気通信のようなものだ」とおっしゃっていました。私たち一人ひとりがそれぞれ異なるスワミとのつながりを持っています。スワミとのつながりは人それぞれです。ある人にとってスワミはガイドであり、グルであり、ある人にとっては師匠であり、ある人にとっては親であったりします。

 私にとってのスワミは親友です。スワミは私のおしゃべりに耳を傾け、とても辛抱強く応えてくれます。もちろん、どんな些細な会話にも応えてくれるのは言うまでもありません。必要なのは忍耐、そして小さなことを注意深く観察することです。スワミが、私の小さな祈りにどのように応えてくださるのか、ごく最近の体験をお話しします。

 

 日本に向かう飛行機の機内でのことです。ベジタリアンの私は、航空会社が用意した機内食を食べられませんでした。客室乗務員に相談しましたが、もうベジタリアン・ミールは残っていないと言われ、私はどんどん空腹になっていきました。インドを出発する前に、夜ご飯を荷物に入れて行くようにと友人から言われていたにもかかわらず、用意するのを忘れていたのです。2時間ほど経った頃、私は日記帳を取り出し、スワミに充てて(私はお腹が空いていて、どうしたらいいか分からないので、ただあなたに手紙を書いています。)とメッセージを書き、眠りにつきました。

 しばらくして、客室乗務員がやって来て、私を起こし、ベジタリアン・ミールを出してくれたのです。ベジタリアン・ミールには事前の予約が必要だったのですが、その日は、たまたまベジタリアンの食事が余分に搭載されていたとのことで、それを頂くことができました。これは、スワミが私たちの想いをすべて聞いてくださるという、とても微妙な例です。スワミはどんな状況であろうと、どんな小さなことでも、祈りを聞いておられます。

 

 ある時、スワミが研究者全員を早朝の6時半にマンディールに呼び出されたことがありました。誰もが、どうしてこんなに朝早くにスワミは呼んだのだろうと考えていました。研究者たちは、インタビュールームに座っているスワミの周りに座りました。スワミは30分ほど何も話されませんでした。スワミは黙想しているように座っていて、まるでどこかに迷い込んでいるかのようでもありました。

 突然、スワミは目を開けると、日にちをお尋ねになり、ある学生が「スワミ、今日は8月6日です」と答えました。それからスワミは、この日に何があったのかと尋ねられましたが、誰からも答えがなく、スワミはご自身で「この日は広島に原爆が落とされた日です」と答えられました。そして、「今、広島で日本の子供たちが、このような大惨事が二度と起こらないようにと私に祈っているのです。私はその祈りに耳を傾け、彼らのもとに行ってきたのです」とおっしゃりました。

 その子供たちの中で、実際にスワミを知っている子供はほとんどいなかったでしょう。しかし、心からの祈りが、スワミを彼らのもとに呼び寄せたのです。

 

 私たちがバルヴィカスのクラスで学んだように、祈りには二つのタイプがあります。一つ目は、神の素晴らしさ、勇敢さ、愛、思いやりを賛歌というかたちで称えることです。もう一つは、プラールタナと言われ、霊的向上、又は物質的な利益のために、神の援助と庇護を祈るものです。

 私たちは、木がどれほど強く、つるがどれほど弱いかを知っています。つるは真っすぐ立つことができず、強い枝がないため地面にへばり付いています。ニームの木は巨大で頑丈な木であり、まっすぐに立っています。巨大で強いニームの木は 1インチ未満の小さな実をつけます。一方で地面にへばりついている弱々しいつるは、超大型の実をつけます。それは、かぼちゃです。何だか不公平な気がしますよね。しかし、ニームの木の下に立っている人の運命を想像してみてください。もし、ニームの木がカボチャのような大きな実をつけたとしたら?

 

 私たちには、ありのままを受け入れることが難しいことがたくさんあります。身の回りに起こることすべてを理解はできませんが、すべて理由があって起こっているのです。祈りは私たちに新しい視点を与え、物事を受け入れる手助けをしてくれます。問題はもはや心配の種ではなくなります。問題は成長の機会となり、主に、より近づく機会となるのです。

 

スワミが語るワカチンナカタの中に、起こることがいかに私たちのために起こるかを語るものがあります。

 

 ある大臣がいたのですが、彼はいつも何が起こっても良いことのために起こるのだと信じていました。

 ある日、王様が果物を切っていて、間違えて指を切ってしまいました。大臣は、「どんな出来事も、あなたのために起こるのです」と言いました。王様は怒って、大臣を牢屋に入れました。大臣はそれでも、何が起ころうとも、それは善のために起こるのだと言いました。

 次の日、王様は狩りに出かけました。深いジャングルの中で、ある部族の長が王様を捕まえ、生け贄の儀式が行われる寺院に連れて行きました。その部族の長は、女神を喜ばせるために王を生け贄にすることを計画していました。

王を生贄にしようとした、その時、部族の司祭が

王の指に傷があることに気づきました。彼は、「王には欠陥があるから、生け贄にはできない。女神は喜ばない」と言いました。

 自分の国に戻った王は大臣を解放し、逮捕したことを許してほしいと許しを請いました。大臣はその時にも、何が起ころうとも それは良いことのためだと言いました。王様は、「私はお前を牢屋に入れ、お前に害を及ぼしたのに、どうして良いことだと言うのか?」と聞きました。すると大臣は「もし牢屋に入れられなければ、私はあなたと一緒に狩りに行って、彼らに捉えられていたはずです。あなたは怪我をしていたから生贄にされずに助かりましたが、私は怪我をしていないので、あなたの代わりに生け贄になっていたでしょう」と言いました。

 

 私たちに必要なことは最善を尽くし、後はスワミに委ねることだけです。スワミが面倒をみてくれるでしょう。スワミはこうおっしゃっています。

 「あなたが私に祈る時、私を心から信頼しなければなりません」

 祈りには計り知れない力があるので、私たちは祈り続ける必要があります。どのように神に祈りを捧げるかを定義し、決定するのは個人です。

 

 スワミの教えを信じる帰依者が、友人と一緒にスワミの所へ行きました。帰依者の友人はスワミを崇拝する方法について何も知らず、マントラやヴェーダも知らずに、クルワント・ホールに到着しました。 

 一緒に来た帰依者が、サイ・ガヤトリーや他のマントラを唱えているのを見た友人は、サイラムという言葉を何度も何度も唱え始めました。

 しばらくすると、スワミが彼の所にやって来て、彼に話しかけ、深く祝福してくださいました。スワミにとって、その人がすべてのシュローカとマントラを知っているかどうかは、問題ではありません。スワミにとって重要なのは、その人が祈る時の誠実さ、熱心さ、そして懸命さでした。

 

 

 スワミの御言葉を引用して、私の話を終わりたいと思います。

 

「私のためだけに祈りなさい」

 

サイババ

JAI SAI RAM

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Sis. Chintalapati Soudamini

プロフィール: 

2019年 シュリサ・ティヤサイ・アナンタプール女子カレッジ卒業

2019年~2021年 ハイデラバード大学で動物生物学と生物工学の修士課程を修了。

ハイデラバードではバルヴィカスの3グループを修了し、インドのお祭りを担当。プレセヴァダル(バルヴィカス教師の前段階)として、生徒のための研修やワークショップに参加。

2022年10月より、文部科学省の奨学生として、日本の国立大学の博士課程に在学中。

参考:バルヴィカスのグループについて

グループ1ではシュローカ(詩節)や基本的な賛歌等の習得。

グループ2では聖典やストーリー、シュローカの深い意味について詳しく学ぶ。ヴェーダも学び、最後にセヴァ組織が実施するバルヴィカスの試験を受ける。その後、グループ3へと進む。

グループ3ではバジャ ゴーヴィンダムを学びプロジェクトを完成させる力を要求され、研修やワークショップに参加する。

 

注釈:バジャ ゴーヴィンダム

アーディ・シャンカラがサンスクリット語で著した神への讃歌。優れた不二一元論の網要とされる。

 

バジャ ゴーヴィンダム

バジャ ゴーヴィンダム

ゴーヴィンダム バジャ ムーダマテー

サムプラープテー サンニヒテー カーレー

ナヒ ナヒ ラクシャティ ドゥクルン カラネー

ゴーヴィンダの御名を唱えなさい。

愚かなる者よ

ゴーヴィンダの御名を唱えなさい。

死の刻が近付いても

初歩の文法はあなたを助けには来ない

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