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​ヴェーダを生きる

第5回

宗教って必要あるの?
~ マントラプシパムと宗教と愛 ~

 現代の日本において「宗教っぽい」という言葉は、あやしい、怖いというネガティブな意味で使用されています。

 

 宗教ほど歴史が長く、人々の人生の拠り所となり、文化の基盤となったものはないにも関わらず、なぜこのような意味で宗教という言葉が使われているのでしょうか。現代において、宗教の必要性は一般的に受け入れられなくなってしまったのでしょうか。
 

 この問に対して「マントラ プシパム」というマントラが答えを与えてくれます。マントラ プシパムは、水と、他の元素や天体との間にある、原因と結果の関係について述べています。それらは、火、風、太陽、月、星、雲、季節(時間)です。

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 水の源を知る者は、水の最高の住処に到達する。
水と火の起源を知る者は、それらの住処に到達する。
火の源を知る者は、最高の住処に到達する。
水と火との神聖な関係を知る者は、
究極の住処(すなわちアートマ)に到達するであろう。


「ヴェーダテキスト第一巻」(サティヤ サイ出版協会)より

 2006年、プッタパルティであるプログラムがスワミに捧げられました。その中で、マントラ プシパムの隠された意味が明らかにされました。それは、アメリカのある帰依者が、夢の中でスワミから教えていただいた内容をもとにした発表だったのです。驚くべきことに、マントラ プシパムの中に出てくる様々な元素は、以下のように世界の主な宗教を象徴しているというものでした。

◉火:ゾロアスター教


◉太陽:キリスト教
 十字架は焼けつくような太陽の苦痛と苦悩の象徴です。エゴと肉体意識を十字架上で滅ぼすことはキリスト教の真髄です。


◉月:イスラム教

◉星:ユダヤ教


◉季節(時間):仏教
 仏教の法輪は原因と結果をもたらす時間に関係しているダルマを象徴しています。

 このように、章ごとに出てくる様々な元素や天体が、それらに関連する宗教を見事に象徴しているのです。では、すべての章で共通して唱えられる「水」は何を象徴しているのでしょうか。それは「愛」です。世界には様々な宗教がありますが、すべての宗教の根底に等しく流れているのは「愛」です。前述のマントラの訳文の中の水を愛に代えてみると以下のようになります。
 

 愛の源を知る者は、愛の最高の住処に到達する。愛と火の起源を知る者は、それらの住処に到達する。火の源を知る者は、最高の住処に到達する。愛と火との神聖な関係を知る者は、究極の住処(すなわちアートマ)に到達するであろう。火が象徴するのはゾロアスター教ですが、この後、様々な元素がそれぞれの宗教を象徴し、愛と宗教の関係と人生の目的地が明らかにされているのです。

 宗教は、日本文化においては正月の初詣、お盆の供養、秋の収穫祭というように生活の中に溶け込んでおり、それらは宗教行事として意識されることはあまりありません。クリスマスという宗教的な祭日すらも、キリスト教徒に限定することなく、多くの日本人は年中行事として祝っています。日本文化は、宗教に限定されない普遍的な愛を、感謝と共に生活の中で表現しているように感じます。


 「愛」は、家族のように身近な人間関係を結びつける力です。そして、民族や国家という大きな集まりにおいても人同士を結びつける力となります。さらに精妙な世界では、大自然、生命、存在の原因であるエネルギーそのものと言うこともできます。しかし、このような普遍的な愛の存在は日常ではあまり意識されず、現代において愛は恋愛という限定的な場面のみで認識されている傾向があります。


 ヴェーダの意味はサンスクリット語の直訳のみにあるのではありません。さらに深い意味が隠されているのです。今日、宗教同士の対立が聞かれることもありますが、マントラプシパムは水と元素の関係における真理を高らかに宣言し、すべての宗教の中にある愛の存在と、宗教の一体性を教えてくれるのです。


 現代の社会で宗教の価値を否定する人はいても、愛の価値を否定する人はいないでしょう。すべての宗教は「愛」の力を説き、人と神を結びつける教えと文化をもたらします。マントラ プシパムを唱え、実践することは、宗教の一体性を明らかにして、普遍的な愛の価値を世界に広めることに繋がります。「愛は神、神は愛、愛に生きよ」宗教の本質は愛です。ヴェーダを生きることは、愛に生きることなのです。

唯一の宗教が存在します
それは愛という宗教です


サティヤ サイ ババ

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