SRI SATHYA SAI RAM NEWS
帰依者スピーチ
Bro.ラージャシェーカル バダム
プロフィール:
インドのハイデラバード出身。2009年スワミ ヴィヴェーカンンダ ハイスクール卒業。2011年シュリ サティヤ サイ大学卒業。2016年文部科学省の国費留学生として北陸先端科学技術大学院大学でマテリアルサイエンスの博士号取得。優秀修了者として学長より表彰を受ける。その後豊田工業大学の博士研究員を経て、北陸先端科学技術大学院大学で助教、講師(~2022年)として教鞭をとる。
2022年7月インド企業に電池研究部門ディレクターとして着任。SSIOJ金沢グループ在籍中は、スタディーサークルを担当。2019年の全国サーダナキャンプや、スタディーサークル部門活動にも大いに貢献。金沢から名古屋センターのナーラーヤナセヴァにも頻繁に参加。金沢センターの御降誕祭ではバルヴィカスの劇をプロデュースした。


オーム シュリ サイラム
スワミの蓮華の御足に謙虚な祈りを捧げます。
1996年6月30日の「私の親愛なる学生たち(Dear Sai Students !」第3巻第3章のスワミの神聖な御言葉から私の話を始めたいと思います。
スワミは次のようにおっしゃいます。
「この世界ではあるものを受け取るには、別のものをあきらめる必要があります。ハンカチが欲しいときは10ルピーを支払う必要がありますが、そうして初めて店主があなたにハンカチを売るでしょう。」
神はとても親切な商人です。私たちがほんの少しでも献身を捧げるなら、慈悲深い主は無限の恵みを注いでくださるでしょう。貧しい帰依者であるクチェラは一握りの米を主クリシュナに捧げ、彼の祝福を豊かに受けました。ドラウパディー王妃は悲惨な瞬間に、純粋な心で祈りました。過去に彼女が払ったわずかな犠牲のために、主クリシュナは急いで彼女の呼びかけに応え、彼女を守るため彼の無限の恩寵をあふれるほど注ぎました。行動の果実は避けられず、誰もそれらから逃れる
ことはできません。しかし、私たちがふさわしくなり、神の恩寵に値するならば、カルマの結果はある程度無効になったり、修正されたりします。
過去9年間の日本での旅、あるいはSSIOJに参加した日からの旅を振り返ると、私は莫大な恵みを受けてきました。インドから日本へ旅立った時、両親や祖父母は私が一人でうまくやっていけるのか、とても心配していました。しかも、最初はJAIST(北陸先端科学技術大学院大学)の松見研究室で、たった3ヶ月間だけのインターンの予定でした。3ヶ月後はどうなっているのか、誰もわかりませんでした。私は不安を抱えて日本に入国しましたが、本当に有り難いことに物事は順調に進み、国家プロジェクトの研究員や国費留学生の採用を経て、博士課程に進むことができました。
国費留学生という資格は非常に競争率が高く、私が採用されるとは想像さえしていませんでした。その後の博士課程に進んでからも、スワミがとてもよく面倒を見てくださったので、私は一瞬たりとも「博士号を取得しなければならない」というプレッシャーを感じることはありませんでした。博士論文の予備審査を受ける日に、スワミは私に2つの良い知らせをくださいました。
1つ目は自分が父親になるということ。2つ目は博士論文の予備審査では、審査員の皆さんから追加実験の要望が一切なく、無事に終わったということでした。自分にとって重要な2つのことが同じ日に起こったことも奇蹟にほかならないと思いました。これは非常にまれな出来事だと思います。そして、最終試験では2つのセッションを行うのですが、1つ目は誰でも参加して聴くことができるオープンセッション形式の試験で、2つ目はもっと厳しいもので、皆が席を外してから審査員と審査される者だけで議論をする「クローズセッション」というものです。
オープンセッションを無事に終了した私は、他の博士号志望の学生たちと同様に、次のクローズセッションでは審査員たちから何を尋ねられるのかと戦々恐々としていました。なぜなら、クローズセッションでは、審査員があらゆることを質問してくるからです。しかし驚いたことに、いつもは厳しい審査員の先生方が先のオープンセッションの内容に満足していたそうで、私は誰からも質問されずにクローズセッションを終えました。これは100万件に1件だと思います。
松見先生(北陸先端科学技術大学院大学教授)は、そのようなクローズセッションは「これまで一度も見たことがない」と言いました。しかしそれもスワミのゲームだったと、私はわかっています。その瞬間、幸せを感じる他には、ただ一つの感情しか私にはありませんでした。それは「私はそんなに多くの恵みに値するのだろうか?」という気持ちです。私は心の内で問い続け、スワミから受けた恵みの100万分の1にも、自分が値しないとわかりました。
私は最終的に優秀修了者賞をいただいて卒業し、スワミは私が卒業する前からポスドク(博士研究員)のポジションを手配されていました。 さらに重要なことは、プラシャーンティニラヤムのラジオサイの特別なイベントで話す機会を与えられました。これは、他のどの賞や博士号よりも嬉しかったです。
私生活の話ですが、インドでのインターンシップ中(インドの国立研究所での職業体験)に、私の結婚がわずか1週間で決まったことをサイの兄弟姉妹の多くが知っていると思います。私は、博士課程在学中に結婚するつもりはありませんでしたが、スワミには別の計画があったのです。シンドゥー(奥様)の実家に両親に連れられて初めて行った時、私は彼女との縁談にまったく興味を持てませんでした。その理由の一つは、自分はまだ結婚の準備ができていないと感じていたからです。
彼女に会った後、チェンナイ(インターンシップをしていた都市)に戻った私は、彼女の名前さえ覚えていないほど、縁談のことをすっかり忘れて過ごしていました。次の週末、私がパルティに行くと、父から私の決断を聞くための電話がかかってきましたが、私は「決めることができない」と答えました。私の両親は、彼女と彼女の家族を「とても気に入った」と言っていました。その日の夜遅く、夜行バスでパルティからチェンナイへ移動していた時のことです。スワミが私の夢の中に来られてシンドゥーの写真を私に見せて、「この人と結婚するように」とおっしゃいました。人生において理解のあるパートナーを得ることは極めて重要であり、スワミは私たちをスワミながらの美しいなさり方で、見事に結婚に導いてくださいました。
このように、スワミは私のために滑らかな舗装された道を歩かせてくださっていると言える、非常に多くの例を挙げることができます。私たちの人生で最も重要なことは、私たちの環境と私たちが住んでいる地域社会です。スワミは私の人生を常にスワミの帰依者たちの近くにいるように計画してくださいました。パルティにいるのと同様に、スワミの帰依者たちや学生たちがいつも周りにいてくれて、私や私の家族の面倒を我がことのようによく世話してくれました。皆さん一人ひとりと良い経験をたくさんし、同じ時間を過ごすことができたことは、本当に幸運でした。今日までの日本での日々、皆さんと分かち合った一つひとつの出来事から、自分が大いに祝福されていることを感じます。しかし、ここでいつも疑問に思うのは、「果たして自分は、こうして与えられたすべての愛と祝福に値しているだろうか?」ということです。
ラーマーヤナでは、ラーマの御足に触れた石がアハーリヤに変わったと言われています。このような奇蹟が起こったのは帰依者の偉大さだけではなく、御足に触れた神の恵みの力です。 スワミはいつも変わらず慈悲深く、私が望んでいない時でさえも、神の恩寵を注いでくださいました。日本でのこの9年間に、私の人生を非常に色々な出来事に富んだものにしてくれた神の性質、そのエネルギーに、この私でさえも触れることができたことに感動しています。
スワミが多くを与えてくださるのは、私たちがそれに値するからではなく、私たちをそれに値するほど、相応しくするために、与えてくださっているのだと、強く感じています。それゆえに、これまで頂いてきた恩寵に相応しい自分になれることを願っています。
ジェイサイラム

名古屋ナーラーヤナセヴァ準備の様子

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