SRI SATHYA SAI RAM NEWS





古来、バーラタ〔インド〕は、霊性に立脚することによって平安と繁栄というメッセージを世界に伝えてきました。国民は常にすべての国の幸福を祈ってきました。バーラタ文化の偉大さは、その壮大さを体験した人だけが理解できるものです。バーラタ文化は、歴史の激動を乗り越えて試練に耐えてきた文化です。バーラタ文化の偉大さは、サナータナ ダルマ(古来永遠の人生哲学)に反映されています。正義はこの哲学の外的な現れです。正義が人間の生活を律してこそ、平等、友愛、自由といった理想が実際に実現されるのです。
人々が感官をコントロールすることを学んだとき、世の中の対立や不和はなくなるでしょう。現代のバーラタ人は、インド文化の深遠な真理を無視しています。それは人々が私利私欲を追求し、利己心に振り回されて、本来持っている神性を忘れているからです。他者に対して親切で思いやりがあるという、人間としての自然な傾向をきちんと育むべきです。現代人はそれをしていません。

サイの御教え
創造の神秘を理解しなさい
基本的には、人と自然の間に対立はありません。赤ちゃんには母乳を飲む資格があるように、蜂には花の蜜を吸う資格があるように、人には自然の果実を味わう資格があります。創造世界は人類よりも偉大です。創造世界の神秘を理解することは人間の特権です。さらに、人は創造世界と創造主の関係を知る努力もすべきです。
人体は、目や鼻や手や脚といった異なる器官で構成されています。人間は人間社会の手足であり、人間社会は人類の手足です。人類はプラクリティ(自然)の手足であり、プラクリティはパラマートマ(普遍なる大我)の手足です。こうした連鎖関係について考えるなら、人間は究極の至福の権化と結び付いているということがわかります。
しかし、なぜその至福は、とらえようとすると人の手から逃げていってしまうのでしょうか? それは、人が自分に内在する神性を認識していないからです。人は、自然というものはもっぱら人間が享受するために神が創造したものだと思っています。それは間違っています。自然は人間が、一定の限度内で、享受するためにあります。
現代の科学者たちは、無制限に自然を享受することを念頭において、自然の力を探っています。科学者たちは、自然のあらゆる力を人間のコントロール下に置いて、制限なしに享受したいと欲しています。今、私たちが目にしている非常に多くの自然災害は、それが原因です。
世界中で起きている干ばつや洪水の原因は何でしょう? 人は、抑制も規制もなしに自然の恩恵を享受しようとして、墓穴を掘っています。ここに地球儀があるとします。片側を叩けばバランスが乱れます。天然資源を用いるときには、きちんとバランスが保たれるよう、常に細心の注意を払うべきです。一方を過剰に用いるなら、他方に害をもたらすことになります。
天然資源の開発に際し、人々は権利という名の下に、限度を守らず、自分たちのやりたいようにやっています。私には、その「権利」という言葉がどこから来たのか、理解できません。実のところ、「権利」といったようなものは存在しません。実際、人々が持っているものは「責任」です。人が自分の責任をきちんと果たすなら、そこから何がしかの権利が生じることは可能です。もし責任を無視するなら、その結果はどうなるでしょう? 混乱と平安の欠如しかありません。雨が降ると水路に水が流れます。雨が降らないとき、どうして水を望むことができるでしょうか? ですから、まず雨が降るように祈ることです。そうして初めて、あなたは川の水の流れを享受することができます。同じように、まず自分の義務を果たすことです。そうすれば、自分の権利を確保することができるでしょう。