SRI SATHYA SAI RAM NEWS
満月祈りの会
毎月の満月日・オンライン祈祷会開催
シュリ サティヤ サイ ババ様御生誕100周年記念ヴィジョン「ハートの中におられる神様を絶え間なく憶念し、⼈類同胞愛という⼀体性の花を捧げます」を受けて、2022年1月から「満月祈りの会」が開催されることとなりました。
2021年には、自然災害、病気、コロナ禍など、様々な試練と人々は向き合いました。そして人類の長い歴史において、いつの時代も試練があればそこには必ず「祈り」がありました。サイセンター・サイグループでも多くの祈りが捧げられました。では、「祈り」の真の意味、本質とは何でしょうか。
感謝の表明は祈りそのものです。祈りは何をするのでしょう?果てしなく、目には見えず、すべてを超越した内なる神性を呼び覚ますのが祈りなのです。なぜ神の御名を唱える必要があるのでしょうか?なぜ神に祈らなければならないのでしょうか?この広大な世界とそこに住むすべての生き物を創造し食べるもの、呼吸する空気、飲む水を与えてくれた神に感謝することが私たちの義務なのではありませんか?そればかりでなく、神は、すべての生き物がこの地球上で生き続けるために必要なものもすべて与えているのです。
1996年8⽉17⽇の御講話
祈りは神への感謝です。祈りは、内なる神性を呼び覚ますものです。では、人が祈るべきことは何なのでしょうか。
古代人の祈りの中に、人間が基本的に必要とするものが述べられています。
アサトーマーサットガマヤ
タマソーマージヨーティルガマヤ
ムルッティヨールマーアムルタムガマヤ
非真より真実へ
暗闇から光へ
死から不死へと私をお導きください
1961年4⽉30⽇の御講話
祈りによって求めるものは、具体的な事例の背後にある真実です。真実に近づくことができれば、具体的な願いは自然に叶い、困難な状況にあっても苦しみから離れることができます。そして、自分と社会と神の一体性が深まれば深まるほど、母が子の幸せを祈るように、みんなの幸せと自分の幸せの区別がなくなっていきます。では、祈りを聞いてくださる母なる神は、私達にどのように祈ってほしいと願っているのでしょうか。
私はあなた方に次のことをしてほしいと思います。神への瞑想、神の栄光を表現する言葉を聞くこと、シャーストラ(経典)からジャパ(神の御名やマントラを繰り返し唱えること)や、瞑想の方法を学習するために、毎日、あるいは一週間に何日か集まることはできませんか?あなたの一生に割り当てられた時間が一瞬ごとに過ぎ去っていることを考えてごらんなさい。実に、人の一生は、時間という火に投じられる供物です。太陽は、昇っては沈み、容赦なく確実に、間断なく、一日一日、あなたの一生の時間を少しずつ盗んでいきます。ですから、あなたの持っている時間を最大限に活用しなさい。神は時間の権化であるということを覚えていなさい。ほんの僅かな時間でも、無駄にして使い方を誤るなら、それは神への裏切りです。一瞬一瞬を神聖なものとし、敬けんな行いをし、善い思考を抱き、神の御名と御姿を常に心に描いていなさい。あなた方全員が、サットサンガ(ひたむきで、実直で、敬けんな人々の集まり)に加わりなさい。
1961年4⽉30⽇の御講話
祈らずにいられない状況で捧げる祈りから、常に生活の中心にある祈りへ変わるべく、毎月の満月の日に、SSSIOJの主催で祈りの会を開催することとなりました。第1回目が2022年1月18日に、第2回目が2月17日に、ZOOMを使用したオンラインで開催されました。2回とも80名以上の方が参加されました。テーマは、「神様への感謝」です。
プログラムは以下の通りです。
◉ 第1回目: 1月18日開催
・アサトー マー
・ガナパティ プラールタナー
・サイ ガーヤトリー108回
・スワスティ ヴァーチャカ シローカ
・ 108の御名
・バジャン
・アーラティー
◉ 第2回目:2月17日開催
・ガナパティ プラールタナー
・クリミナーシャカ マントラム
・ラグンニャーサハ
・スワスティ ヴァーチャカ シローカ
・シヴァ パンチャークシャリー マントラ108回
・サイ ガーヤトリー21回
・ガーヤトリー マントラ21回
・サマスタローカー21回
・ 108の御名(日本語)
・バジャン
・アーラティー
プログラムは、ヴェーダと日本でよく唱えられているマントラのジャパを中心に構成されました。サイ ガーヤトリーマントラは、サイがマントラを司るアディシュターナ(主体となる神)です。このマントラを約30分間、108回唱えました。
クリミナーシャカ マントラムは、現在プッタパルティで毎日唱えられている、病原菌を滅ぼすマントラです。ラグンニャーサハは、思いと言葉と行動の調和と、内なるハート・アートマに対する祈りのマントラです。節ごとに元素や神と知覚・行動器官のつながりが、以下のように述べられています。
火は言葉の源であり、風は命の息吹(プラーナ)の源であり、太陽は視覚の源であり、月は心の源であり、方角は聴覚の基盤であり、水は存在の基盤であり、大地は身体の中に存在し、薬草は髪の毛の中に存在し、インドラ神(軍神)は力の基盤であり、英知の雲は知性の中に存在し、シヴァ神(破壊を司る神)は憤怒の力の源であり、アートマ(大我)は小我の基盤です。
シヴァ パンチャークシャリー マントラは、2004年のマハーシヴァラートリの日にスワミが唱えられたオーム ナマ シヴァーヤ(「オーム シヴァ神に帰命し奉る」の意)の音源を使用して、スワミのリードで108回唱えました。108の御名は、日本語でスワミの栄光を讃えることができる至高のマントラです。このように、私達の祈りの中心となっているヴェーダの内的な意義とは何でしょうか。
誰もヴェーダを忘れてはなりません。ヴェーダとヴェーダーンタ(ウパニシャッド)はあなたの両親のようなものです。常にヴェーダとヴェーダーンタを覚えているべきです。決して忘れてはなりません。
『サイラムニュース』No.122, p.10-11
ヴェーダは神の姿そのものです。パンチャブータ(五大元素)をなだめる多くのマントラがあります。五大元素は私たちの息吹そのものです。五大元素は私たちの生命を維持します。世界そのものが五大元素の現れです。しかし、人々は五大元素に感謝することを忘れています。何と罪深いことでしょう!
2004年10⽉19⽇の御講話
ヴェーダには様々な祈りがあります。ヴェーダは、個人の願いを叶えるためのものなのでしょうか。ヴェーダを唱えられることは大きな喜びをもたらし、他者から称賛を受けた時にはエゴを刺激することもありえます。ヴェーダは本来どのような性質をもっているのでしょうか。
ヴェーダのマントラを唱えることには、ほんのわずかな利己心も存在しません。ヴェーダのマントラは人類全体のためのものです。ヴェーダのマントラは、あらゆる人の幸福に欠かせないものです。ヴェーダは個人(ヴィヤシュティ)を超えて、共同体(サマシュティスワルーパ)に関心を持っています。
『アティ・ルッドラ⼤供犠祭』pp.127-128
祈る舌より奉仕する手が神聖であるとスワミはおっしゃいます。このような深い祈りを通して、私達はどのように実践を始めればよいのでしょうか。
神が説くすべてのことは、人間の利益と幸福のためです。ですから、ヴェーダの教えのうち一つでも実践に移すなら、それで十分です。神の教えを実践に移すことは、すべての人々にとって自然なことであるべきです。
2004年9⽉6⽇午後の御講話
「全てを愛し、全てに奉仕する」「常に助け、決して傷つけない」この二つのスワミの御教えは、ヴェーダのエッセンスです。「神様への感謝」が真の愛を育みます。満月を意識した日々の生活と、満月に向かって捧げる毎月の祈りは、自分と満月と神の結びつきを深めてくれます。それは、個人と社会と自然の一体性へとつながっていきます。その時、祈りは奉仕と一つになり、全ての人の中の神様への礼拝へと変わります。月と祈りと共に、毎日の生活でヴェーダを生きましょう。
サマスタローカーハ スキノー バヴァントゥ
みんな幸せになりますように