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ヴェーダを生きる​

どうすれば人間関係に悩まずに生きることができるのでしょうか

 現在社会を生きる人々は、様々な悩みに苦しんでいます。保育園・幼稚園から大学まで、子どもでも人間関係の悩みがつきものです。大人は会社でも、家庭でもストレスと無縁でいる人は少ないことでしょう。現代社会のすべての悩みとストレスの原因は、人間関係から生まれていると言っても過言ではありません。この問題に対して、ヴェーダはどのような解決策を与えてくれるのでしょうか。ナーラーヤナ ウパニシャッドのシャーンティ マントラである「サハ ナー ヴァヴァトゥ」から始まるマントラを紹介します。

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 このマントラは、スワミが御講話でよく引用されます。そして、意味を分かりやすく実践的に以下のように教えてくださっています。

 『皆共に動きましょう。共に進みましょう。私達が理性によって学んだことを、維持し保存しましょう。一切の対立と誤解なく生きましょう。』    

 1995年11月17日の御講話より

 このマントラで繰り返される「サハ」という言葉は、「共に」を意味します。このマントラの意味は、「共に生きること」「憎しみ合わないこと」を祈る道徳的な内容です。ヴェーダの教えは、神秘的で誰も聞いたことがないような教えだと考えていた人にとっては、少し拍子抜けするかもしれません。しかし、あえてこのようなシンプルで普遍的な教えを第一回目のマントラに選びました。なぜならヴェーダを唱え、ヴェーダを反芻し、ヴェーダを生きる時、頭で理解している意味とはまったく違う次元の力をヴェーダは生み出すことができるからです。 

 

 私が出会った人生の大きな困難は、やはり人間関係を原因にするものでした。決して解決できるものではなく、ひたすら忍耐するしかない毎日が数年間続きました。多くの人生の困難は、解決できずに耐えなければいけないからこそ苦しいのです。その数年間、ひたすら繰り返し唱えたのがこのマントラです。このマントラに答えがあることに疑いはありませんでした。そしてその答えは、単に「共に生きること」「憎しみ合わないこと」という道徳的な教えではなく、人が生み出したものではなく(アパウルシェーヤ)、始まりのない(アナーディ)ヴェーダの英知なのです。困難な状況はなくならなくても、私自身がそれを困難と感じなくなることは簡単でした。周囲の人から見れば大きな困難の中にあっても、ヴェーダの価値を信じ、唱えることで、その意味は揺らぐことがない信念に変わりました。

 すると自分を攻撃する人に対して、その人の良いところが見えるようになりました。私が相手を憎まない限り、憎み合うことには決してなりません。やがて相手の気持ちにも変化が生まれ、状況が変わりました。しかし、しばらくするとまた同じ困難が繰り返されました。それでも、私の態度はヴェーダの教えの通り「共に生きること」「憎しみ合わないこと」を確信するだけでよいのでした。

 このマントラをヴェーダ特有のメロディとリズムと発音で、神への信愛と共に唱えた時、ヴェーダが大きな力と勇気を生み出すのだと感じます。それはまるで、言葉自体がその現実を生み出しているかのようです。日本に伝わる言霊(ことだま)という言葉がまさにそれを意味しています。ヴェーダはどんなに苦しい時でもいつも共にあり、無くなることがない拠り所です。

 

 もし、ヴェーダがただの道徳的な教えであればこのような信念を持つことはできないかもしれません。「頭で分かっていても、実際には無理だよね」社会で生きていれば、そんなことばかりです。しかしヴェーダは、人が生み出したものではなく(アパウルシェーヤ)、始まりのない(アナーディ)神の息吹であるという信念が基盤にあれば、ヴェーダの教え以外の選択肢は無くなります。そして、結果は神に委ねればよいのです。自分自身が変われば、世界と状況は必ず変わります。この体験が「ヴェーダを唱え、生きる」ことの意味を、私に実感させてくれました。

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 人間関係の悩みは決して無くなることはありません。しかし、ピンクの色眼鏡をかければ、世界のすべてがピンク色に変わります。変えることができ、変えるべきものは自分自身です。自分自身が変われば、困難は困難でなくなり、周囲を変え、やがて自分を攻撃する人や状況にも影響を及ぼします。そして、想像以上に変わるのは、周囲で見ている人の態度です。周囲の人が変わることによって、状況は大きく変わることがあります。

 毎日ヴェーダを唱えることで、ヴェーダの言霊(ことだま)が現実を創り出し、信じる勇気をもたらし、やるべきこと(ダルマ)を決意することができます。どんな状況でも頼ることができる「ヴェーダ」があるということ以上に、幸せなことはありません。現代社会の多くの人は、困難な状況で100%頼れるものがないから苦しいのではないでしょうか。

 どれだけ力になってくれる家族も友達も、24時間、何十年先までそばにいてくれることはありません。しかし、ヴェーダと神は未来永劫にわたって私たちと共にいてくれます。ヴェーダを覚えることは、神の息吹を自分の口からも生み出すことができるということなのです。

 

 「サハ ナー ヴァヴァトゥ」のマントラについて、スワミは異なった解釈も教えてくださっています。 

 『人間の身体的行為と、話す言葉と、思考のすべては、「サハナ」すなわち忍耐力と我慢強さという、たいへんすぐれた性質と徳を示すべきであるというのが、ウパニシャッドの教えです。 「サハナ」は人の激情を制御し、激しい行動を抑制します。「サハナ」は人の性格を改善し、純化する作用であり、結果として平安をもたらします。生活の喧騒の中、特に現代の世の速いテンポにあっては、人間の感覚は拍車がかけられ落ち着かず、人間の心(マナス、マインド)は気が散って容易に離れていってしまいます。「サハナ」は、感覚と器官の活動を制御し、動機づけ、導く力であり、能力です。人間を高めるのも卑しくするのも、心と感覚の正しい制御によります。 「サハナ」は心と感覚の正しい働きを統制します。「サハ ナー ヴァヴァトゥ」というマントラは、自分が立てる誓いであり、自分が「サハナ」を備えてこの世を生きるという誓いです。――「私は我慢強さと辛抱強さと自制心を備えて人生を送ります」――。  「サハナ」という性質は、子どもにも大人にも

等しく必要不可欠なものです。このマントラは、ただ唱えるだけで終わらせず、実践において繰り返されるべきです。』

『霊性修行の手引』P.41-44

 

 「サハナ」 忍耐力がすばらしい特質であると信じることができれば、人生の困難は自分の霊性を高めてくれる階段になります。ヴェーダのマントラは、ただ唱えるだけではなく「生きる」ことによってその価値を明らかにしてくれるのです。「サハ ナーヴァヴァトゥ」のマントラは、人は互いに憎み合うのではなく、共に生きる存在であるということを固く信じさせてくれるのです。

 

サイラム

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